流れに逆らわず導かれるまま進めばいい

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縁というものを信じる人もいればそうでない人もいる。わたしは間違いなく前者で、世の中のあらゆることはリンクしてるとさえ思っている。人に出会うときはいつだって必然だし、小説や映画だって「たまたま」読んだり観たりするわけではなく、いつだって必然があってやってくるのだと信じている。

若い頃はそういうことに気づかずに、大きな流れに逆らうようなことばかりしていた。明らかに導かれているのに、その流れに乗らずに痛い思いを何度もしてきた。さすがに40歳にもなろうとするこの歳になるとわかってくる。大事なのは流れを見きわめてその流れに乗ってしまえばいいのだということを。

もちろん、流れに逆らう生き方が悪かったわけではない。それもひとつの経験だろう。いっぱい痛い思いをしてきたからこそ身につくこともある。その積み重ねがあるからこそ流れが見えるようになってきたというのもある。大きな流れには絶対逆らってはいけない。常識を信じちゃいけないのと同じぐらい重要なこと。

万里の長城マラソンでは今回がラストランになるような流れができていた。出来過ぎなぐらい来年以降は事務局に専念しようと思える出来事が続いていく。少しだけあわよくば来年以降も…という思いがあったのだが、そういう中途半端ではいけないと気持ちを切り替えたのは行きのフライトで観た映画「アゲイン 28年目の甲子園」だった。

この映画を選んだのもいま思えば必然だったのだろう。わたしは毎年この北京へのフライトで妻夫木聡さんの主演する映画を高確率で見ている。今年も「バンクーバーの朝日」をやっていたのだが、なぜかわたしはこの映画をすでに映画館で観ていたのだ。そして、それを観たときに「アゲイン 28年目の甲子園」を知ったのだ。

「アゲイン 28年目の甲子園」は気にはなったがなぜか映画館では観なかった。わたしのような単純な人間にはそれでもうこのタイミングで観るように導かれているとしか思えなくなってしまう。映画としても本当に素晴らしく、そしてわたしの揺らいでいた心を真っ直ぐにしてくれた。自分のすべてを出し切って終わりにすることをわたしは心に誓った。

裸足で走り始めた万里の長城マラソンは、かなり多くのランナーから励ましの声をもらった。欧米のランナーからは「Respect you!」と何度も声をかけてもらい、日本の万里の長城仲間からは「まだ履かないの」と茶化され、そのたびに元気になってリタイアするまでシューズを履かずに走りきった。

もしわたしが「アゲイン 28年目の甲子園」を観ていなかったら、またシューズを履いて無理やり感想を目指していただろう。ただそこには何もないのだ。裸足ランナーとして裸足で感想を目指すことに意味があり、それがわたしの挑戦なのだから、挑戦に失敗したなら潔く散るべきだろう。日本人には散り際の美学というものがある。

結果的にわたしは納得できる形で万里の長城ランナーを引退できた。いや引退へと導かれていたのだろう。

そしていまもうひとつの大きな流れが目の前にある。これはかなり危険に見える流れだし、雪解け水のように冷たそうだ。だがこの流れに対しても、えいやと飛び込むつもりだ。わたしが欲しいのは生きているという実感だ。いま飛び込まなければわたしは死んだまま生きることになる。

人生は一度しかない。そしていまは二度と戻ってこない。ならば勇気を出して飛び込むしかないだろう。

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