マラソンをしていると自分はいつまでも成長期であるかのような錯覚をしてしまう。まだまだ伸びしろはあるし、実際に自己ベストを更新し続けることもできる。走り方も上手くなっている。それでも衰えはやってくる。
機械設計の仕事でも「ひらめき」のようなものは若い頃に比べて圧倒的に減ってきたし、信じられないようなミスも目につく。他の人から見ればささいなことなのだが、自分で感じる衰えは想像以上に大きい。
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マラソンもそうだ。いい走りは出いるようになっているが、いつでもベストの状態ということはなくなっている。勝負レースを決めたらそこに向けてきちんとコンディションを整えなければタイムがついてこない。
人間は衰える生き物だ。老いは避けられないし、肉体が永遠に右肩上がりに成長するということはありえない。
だが、肉体が衰えたから成長が止まるわけではない。むしろ勢いだけでやってこれた頃よりも頭を使い、工夫をすることでいつだって今の自分を超えることはできる。
そしてその成長を支えるのは「情熱」だ。
ビジネスの世界で成功している人たちは類まれなる能力もさることながら執拗なまでの「情熱」を持っていると聞く。世の中を変えたいという「情熱」だったり、貧しさから抜け出したいという「情熱」だったり。
「情熱」には才能はない。「情熱」を持ち続けることができるか、それとも手放すかのどちらかだろう。ただ情熱を持ち続けた人だけが世界で活躍できる資格を得られる。
いや、何も世界で活躍するだけが「情熱」の結果ではない。何百回もフルマラソンを完走したり、何百回も富士山を登ったりすることも「情熱」の結果だろう。
「情熱」がなくても生きてはいけるが、「情熱」があれば人生はもっと面白くなる。
もっと速く走れるようになりたいという想いだったり、もっと美味しい料理を作れるようになりたいという想い。もっと誰かを愛したいという想いでもいい。そういう欲望が、人生の振り幅を大きくしてくれる。
生命が尽きる直前まで成長し続け、「情熱」を燃やし続けよう。人生はもっともっと楽しくできる。
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