『わたしに会うまでの1600キロ』お遍路の日々を思い出す映画

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気になっていた映画『わたしに会うまでの1600キロ』を観てきた。上映中、わたしの頭を浮かんでいたのは「お遍路」だった。主人公シェリルの姿がお遍路を歩いていた自分に重なりすぎてしまった。

観ようと思ったのはマラソンに繋がる何かを感じられるかなという気持ちだった。1600キロものトレイルを歩く話だからこれは間違いなくトレランや、ウルトラマラソンに通じるものがあると思ったのだ。

期待は裏切られなかった。きっとこの映画を観ておいたことで、わたしはいい精神状態で来週の24時間マラソンに挑むことができるだろう。ただ24時間走りながらシェリルの旅とわたしのお遍路についてずっと考えることになるだろう。

わたしのお遍路は区切り打ちと言って、長期の休みごとに行っていたのだが、その初日は毎回憂鬱になる。「なんでこんなことはじめちゃったんだろう」とか「この時間をのんびり過ごしたらどれだけ素敵だろう」とか。

シェリルのスタートも似たような感じだ。だが彼女は1600キロの距離を歩く過程で、多くの人に助けられながら、どんどんたくましくなっていく。失ってしまった自分らしさを取り戻していく。

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わたしのお遍路はどうだっただろうか。区切らずに通しで回れば目に見えた変化があったのかもしれない。ただ、はっきりしているのはあのお遍路があったからいまの自分があるということ。

本当に死ぬかというような経験を何度かした。そして何度もそこで出会う人たちに助けられてなんとか結願することができた。この映画とまったく同じではないか。

そういえばお遍路を始めたばかりのころ、わたしの荷物を見て「荷物の重さが業の重さ」だと教えてくれた人がいた。なるほど、シェリルの荷物はまさに業の重さそのものだ。背負うこともままならない。それだけのものを背負って彼女は歩き始めた。

きっと歩き終えたシェリル(映画ではなく実在する本人)は「この旅で、自分が変われたかどうか、自分を取り戻せたかどうかはわからない」と言うだろう。ただし、確実に変わっている。歩くことは祈りでもあり救いでもあるのだ。

たった一人で歩いていると、起きているときはずっと自分と向き合いながら考えている。いろんなことを考えている。忙しすぎる現代人にとって、この「考える」時間というのは非常に重要になってくる。

そういう意味では24時間マラソンやウルトラマラソンも似ている。周りのランナーと励まし合いながらも基本は孤独で、ずっと自分と向き合わなければいけない。

24時間マラソンやウルトラマラソンは競技のようでありながら、自分を変えていく場でもあるのだ。

この映画はできるだけ多くの人に観てもらいたい。もしかしたら男には向いていない映画かも知れないが、女の人は絶対に観ておいたほうがいいだろう。何かを感じられるかどうか、感性はそれぞれ違うのでわからない。でも観る価値はある。それだけははっきり言える。

『わたしに会うまでの1600キロ』公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/1600kilo/

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コメント

コメント一覧 (3件)

  • シアター系が一つあってたいていは上映なんだけどね。
    時々、こういうこともあるのよ。

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