昨日のブログに対していろいろな人から意見をもらい、叱責を受け考えることは多々あるのですが、その想いをいま書くとひどい文章になるのが目に見えているので、違う視点から「わたし」について書いてみます。
以前ブログにも書いたのですが、わたしにとって「人間がしてはいけないこと」は「自殺」だけだと考えています。世の中にある数々の犯罪を認めているわけではなく「ありえること」として受け止めています。
その中にはもちろん殺人もあります。わたしには人が人を絶対に殺してはいけないなんてことは言えません。人を殺すことを推奨しているわけではないので勘違いしないでもらいたいのですが。
もしわたしにとって大切な人が誰かに殺されたとします。わたしはその誰かを殺さない自信がありません。自分ができないことを人に求めるわけにはいきません。
その他の犯罪についてもそうです。今日を生きるためにそれしか手段のない人たちに窃盗をやめさせる言葉をわたしは持っていません。わたしが実際に窃盗するかどうかは別として「絶対に」してはいけないとは言えません。
自殺がなぜダメなのかは今日はここに詳しくは書きませんが、「人間は生きるために生きている」という考え方が根本にあります。わからないですよね…すみません。
人間が生きようとする限り世の中で犯罪と呼ばれるものすべて起こりうる可能性があります。わたしが明これから5分後にアパート隣人に殺されることも当然ありうることです。
そしてありとあらゆることは因果関係があります。もしわたしが明日どこかの路上で暴漢に襲われたとして、その暴漢とわたしのあいだに何の関係性がなかったとしても、やはりそこには因果があると考えています。
世の中に起きる偶発的に見えること、理不尽に思えること全部因果があります(あると信じています)。
茶化すわけではありませんが、わたしがいま独身なのも因果があり、会社を辞めて独立して働き出したことにも因果があります。たまたまそうなったとか、運が良かったとか悪かったとかそういう考え方をわたしはしません。
人の栄光はすべてその人が地を吐くような思いをしてつかみとろうとした結果だし、盛者必衰となるのもその人がなんらかの努力を怠ったからです。
わたしが隣人に殺されたとしてもそれは自分が招いたことであり、暴漢に襲われたとしても同じことです。
だから世の中を諦めるということではないですよ。因果があるから努力するし、まっすぐでいようとします。そのうえでうまくいかないことが起こったのなら仕方がないことだとは考えています。
いま目の前で起きていることは過去の自分の言動が要因であるならそれはいますぐに変えられようのないことです。嘆きも悲しみもしません。ただ、未来に同じことを起こさないために何をすべきか、どうあるべきか考え実行する。ただそれだけです。
しつこいようですが、これはあくまでもわたしの考え方・頭の中であって、理解してもらえるとは思っていません。あいつの頭の中はそんなふうになってるんだぐらいに思っておいてください。
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