たった6日間の滞在でしたが、沖縄の一部分には触れられたのではないかと思える時間を過ごすことが出来ました。そして語らないわけにはいかないであろう戦争についての出来事も。
わたしは小学校の修学旅行が広島で、中学校の修学旅行が長崎でした。その結果、わたしの中での戦争の象徴が「原爆」であり「沖縄」は戦局のひとつぐらいの認識しかありませんでした。
いや、実際はどれもが戦局のひとつでしかないのですが、それぐらい原爆が圧倒的な存在感だったのです。
スポンサーリンク
今回の沖縄ではなぜ沖縄戦がひどいものになったのかを40歳にしてようやく学ぶことが出来ました。沖縄の高台にあがると想像するだけでも震え上がるような景色が目の前に浮かんできます。
大激戦だったのでもっと広い範囲で行われていたのだと勝手に思っていました。ところが、南城市からは戦地になった南部全体を見渡せるのです。しかもNAHAマラソンで実際にそこを走ったわけです。
意図してか、たまたまなのかはわかりませんが、NAHAマラソンのコースは激戦区となった戦場を駆け抜ける設定になっています。
日本政府は沖縄を捨て石にして長期戦を強いたと言われています。それはそれで事実なのですが、一般市民を巻き込まないための努力を日本軍がまったくしていなかったとも思えない気づきもありました。
これはとても大切なことです。実際に自分の足で走り、自転車を漕ぎ見て回ったからこそ感じることができました。このタイミングで沖縄に行っていなければずっと知らないままだったかもしれません。
もし昨年、ラン仲間と一緒にNAHAマラソンに参加していたらこんなにも多くの沖縄には触れられなかったでしょう。今年1人だったからこそ触れることが出来た。それは偶然ではなく必然だと思いたい。
長いこと沖縄に行こうと思っても行けなかったのも偶然ではなく必然だったのです。
神様も仏様も信じていないけど、きっと「いま学ぶタイミングだ」と神様か仏様に言われているような気がします。それは台湾の歴史を学び、満州について学んだ今だから感じることができる何かがあるからなのかもしれません。
沖縄の歴史を深く学び、そしてまた沖縄の地に戻って思う存分駆け抜けます。そしてまた学ぶ。沖縄との関わりはここからスタートします。
コメント