大成はできなくても人の喜ぶ顔を見ることができればいい

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人が好き。人が喜んでくれることが好き。人が喜んでくれることをするのが好き。だからできるだけたくさんの人に会いたいし、困っている人がいたらそれはも助けずにはいられない。

困っていなくても自分が手を出すことでいい方向に変わると感じたら動いてしまう。先日の中国人を観光案内したのもそうすることが自分の役割だし、それをひとつの運命のようなものだと思っています。

来日していたのは万里の長城マラソンのPV撮影のときにあるシーンを撮るために少しの時間だけ一緒に仕事をしたモデルさん。結局彼女のシーンを使うことはなかったのですが…

なので本当に会話もほとんどしていないような間柄。それでも中国版LINEであるWeChatで繋がって、そこから「日本に行きます」というメッセージが来たので「案内するよ」となったわけです。

他の人だったらどうするのだろうかを一瞬考えましたが、他の人にはそもそもこういうシチュエーションがないことに気づきました。もしかしたら自分で思っている以上にわたしは特殊な生き方をしているのかもしれません。

ただいまわたしがいる場所はいきなりできたわけではありません。困っている人がいたら助け、自分が正しいと思う道だけを歩いてきたら、ここにいたのです。愚直なまでにまっすぐに生きてきたら特殊なところにいたのです。

何か策を練ったわけでもないので、誰もがたどり着ける場所。でもそのまっすぐさというのが実は難しいのかもしれません。わたしはそのように育てられたからできているだけ。

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ときどき誰かを騙してでも得をしようという人がいます。騙さないまでも相手のミスに便乗したり、自分が損をすると思ったら協力をしない人。そういう人たちを賢い生き方なのかもしれませんが、そういうことはわたしにはできません。

だからわたしはきっと大成はしないでしょう。競争をして勝ち残りたいという強い意志もなければ、そもそも争いを好みません。男らしさのかけらも持ち合わせていませんから。

大成はできなくても、たくさんの人の喜ぶ顔を見ることができればそれでいいのです。

問題はこの生き方してると全然モテないなんですよね。「いい人」で終わってしまうので。されはそれでいいとします。「どうでもいい人」にだけはならないように生きていければそれで十分ですから。

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