ライターという仕事をするまでは、アウトプットはいくらでも出来ると思っていました。でも少し前からそうじゃないかもと思い始めて、昨日熱い記事を2個アウトプットしたら今日は頭が回りません。
脳も使い過ぎると筋肉痛のような状態になるのかもしれません。普段の記事作成はジョギングのようなもので、真剣勝負の記事はマラソン大会。自分のすべてを出し切るからしばらく頭が回らない。
そういえば設計の仕事をしているときもそうでした。集中していいものを絞り出した後はまったく仕事が手に付かない。一般的にはわかりませんが、少なくともわたしの頭はそうできています。
でもこれが筋肉のようにトレーニングを積むことでレベルが上がるのだとすれば、脳が筋肉痛になったわたしはまだまだ伸びしろがあるってことになります。
そして一流のライターさんは脳のトレーニングをずっと続けてきたのかもしれません。
昨日の記事ぐらい熱が入っているとやっぱり読んでくれる人の反応が全然違います。情報を発信する側としては、昨日のレベルが最低ラインになるところまでまず引き上げなくてはいけません。
いつも伝えたるという行為に飢え続けて、伝えることに情熱を注ぎ込む。それをいくら行っても耐えられる脳を作らなくてはいけません。体を鍛えて脳を鍛えて大変ですが、ここまでやってこなかったツケのようなものだから仕方ありません。
脳を疲れさせないような文章を書いてもそれは情報発信ではありません。どうしても伝えたいことがある。だからキーボードに向かい、文字を打ち続ける。特別なことではなくそれがライターという生き方です。
伝えたい事がないのに食べていくためだけに文章を作る。これが最悪の状況です。もちろんライターという仕事は好きなことばかりを書いていけるわけではありません。特に依頼を受けた仕事は読み手のこと、発注者のことを考えて書く必要があります。
でもそこに「伝えたい」情熱を乗せることは可能です。単純な記事であってもそこに思いを込められるかどうか。そしてそれを継続していくことがライター重松貴志を作っていきます。
そういえば、こんな気持ちで機械設計していたなぁと設計の仕事を始めたころのことを少し思い出しました。忘れていた感覚。いいタイミングで思い出せました。
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