先に言っておきますが、わたしは決して瀬古利彦さんが嫌いなわけではありません。批判したいわけでもありません。ただ昨日の青梅マラソンでの瀬古さんのマイクパフォーマンスを聞いて感じたことがあるので伝えたいだけです。
瀬古さんはサービス精神旺盛なので、とにかくたくさん喋って大会を盛り上げようとしてくれます。ただ、その言葉が完全にスベっている状態で、ランナーによっては不快に感じる人もいたかもしれません。
「瀬古さんらしいスピーチ」と言ってくれる人もいますが、精一杯のフォローだと思います。
瀬古さんは日本のマラソン界を引っ張り、そしていまでもその発言が注目される1人です。それでも表に出てきて、様々なところでマラソン界を盛り上げようとしています。
でもたぶん2度と、青梅マラソンに呼ばれることはないのではないかと思ってしまうほど、昨日は空回りをしていました。5回笑わそうとしたら1回笑いが起きるといった感じです。
瀬古さんぐらいまで偉くなると提言したりする人がいないんだろうなと、ちょっと寂しい気持ちになってしまいました。人間、小言を言ってもらえるうちが華です。
忠告してくれる人、反対してくれる人がいてなんとかバランスを取れるのが人間で。でも偉くなりすぎると逆鱗に触れることを恐れて、誰も注意しないし、誰も本音で話をしてくれなくなるのでしょう。
それは企業の社長なども同じです。組織の頂点に立った瞬間から、社長は孤独と向き合うことになります。誰も叱ってくれなくなり、誰も正しい声を聞かせてくれない裸の王様状態です。
血の滲むような努力をして世界トップにまで上り詰めた結果、得たものは誰も注意してくれることのない孤独な立場。これでは悲しすぎませんか?
一流のアスリートが一流の人間になれるわけないことは、トップアスリートの起こした数々の事件を思い出せば明白です。
どんなに素晴らしい結果を出した人でも、どんなに出世した人でも特別扱いしない成熟した文化をわたしは望みます。特別扱いされるから、みんな自分が偉いのだと勘違いしてしまう。
有名人だから特別な人間として扱うことからそろそろ脱却しなくてはいけません。芸能人であってもトップアスリートであっても、みんな人間で、そこに上下関係はありません。みんなフラットな場所にいます。
人間に偉さなんてないし、地位も家柄も美貌も関係なくみんなフラット。
お金を持っている人も、有名になった人も、世界で活躍する人も特別扱いしない世の中、決して孤独にさせない世の中。それがわたしの理想です。
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