わたしの暮らす鶴巻温泉には本屋がありません。鶴巻温泉での生活で唯一残念なことがこの本屋がないということ。最近は紙の本を買うことがほとんどなかったため、本屋がなくてもいいかと思っていたのですが、いやいやなんとも不便。
先日はランニング関係の雑誌を資料とするために、となり町の東海大学駅前まで走っていったのですが、必要だった3つのランニング雑誌のうち、1種類しか置いていません。
3冊中1冊は置いていない可能性があるかなと思ったのですが、まさかの1冊のみでした。しかも本屋が2店舗あって片方は1冊も置いていません。もう一方の1冊だけ置いてあるほうは、今月入荷していない雑誌の先月号が置いてあります。
最近、amazonの影響で本屋が次々に閉店しているそうですが、そりゃそうだわ。何も自分が欲しかった雑誌を買えなかったから言うわけではありません。わたしが買えなかったということは、同じような思いをした人がいるはず。
小さな町の本屋さんはスペースが限られるため、誰もが必要としている雑誌や漫画を中心の品揃えになっています。でもそんな雑誌や漫画はコンビニで買うことができます。
本屋の存在意義がなくなっています。
なかった本に対しては「取り寄せになります」と言われましたが、取り寄せるならamazonに頼みます。すぐに入手できますし、お店に行く必要がありません。
小さな本屋が生き残っていく方法は、どこにでもあるお店を作るのではなく、個性のある品揃えをすること。
静岡の三島に住んでいたときに、街にはいくつかの本屋がありましたが、わたしが好きだったのは一番小さな街の本屋さんでした。他の本屋さんにはない品揃えで、その本屋さんに行くといつも、いい本との出会いがありました。
そういう本屋さんはきっとamazonに関係なく残り続けるのでしょう。
これって間違いなくわたしのような小さな個人事業主にも当てはまることですよね。amazonではなくて、わたしに依頼してわたしならではの仕事を期待される。
そこであたり前の結果を出したのでは足りないんです。小さくてもキラリと光る何かを残さないと次は別の人に取って代わられる。街の本屋さんと同じような立場にわたしはいます。
でもだからこそやりがいがあるわけです。大きな会社にいたのでは自由に動き回ることができませんでした。これも会社を辞めた理由のひとつ。小さな存在だから出来る自分らしい対応。
amazonによって消えていく街の本屋さんにならないように、自分らしさを追い求めよう。
ちなみに反対のとなり町にあったスーパーの上にあった本屋はスーパーごと閉店。本を買いに電車に乗って本厚木までいかなくてはいけない。ところが本厚木には数えきれないほど本屋があります。
格差社会だな・・・
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