猫ひろしがカンボジア代表で五輪に出るべきかを問う前に

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猫ひろしがカンボジアのリオデジャネイロ五輪代表選考会レースで優勝しました。すでに何度かカンボジア代表としてカンボジアの国旗を付けて国際大会を走っていますので、余程のことがなければ猫ひろしはリオデジャネイロ五輪に出場できます。

おそらくこのことを批判する人も出てくるでしょう。賛否両論別れるとは思いますが、個人的には4年間よく耐えてそして実力を維持し続けたのは見事だと思います。

猫ひろしがここまで成長する過程には本当に苦しい練習を続けてきたことは容易に想像できます。

数年前、わたしは猫ひろしに一度も負けたことがありませんでしたが、彼が本気でマラソンと向き合ってからは猫ひろしの背中をあっという間に見失ってしまうほどに差をつけられてしまいました。

川内優輝が市民ランナーの代表ならば、猫ひろしは凡人ランナーの代表です。

批判はあっても決められたルールの中で凡人がオリンピック出場を目指し、いまオリンピックに指がかかるところまできてしまいました。

彼の成し遂げたことを批判するのは自由です。でも本気で批判するなら、本気で彼のオリンピック出場を妨害すればよかったのです。自分も国籍を変えて猫ひろし以上のタイムを出したうえで代表を辞退するぐらいのことをすればいいんです。

自分で出来ないなら、カンボジアの有力選手を育て上げればいい。4年もあれば猫ひろしよりも速い選手を揃えることはそんなにも難しいことではありません。なんせ猫ひろしは凡人ランナーの代表ですから。

それぐらいしたほうがドラマチックで、話題性も高まって注目されて悪いことなんてひとつもないのですが、結局誰ひとりとしてそれをしようとはしませんでした。

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猫ひろしに批判があったとしてもしょせんその程度の批判であり、彼を批判することで自分を持ちあげたいただの浅ましさしか感じられません。

そしてオリンピックを神格化するのもそろそろ終了させる時期のような気がします。オリンピックはスポーツの祭典としての役割を果たし終えて、ただの商業主義の象徴へと移行しています。

栄枯盛衰。

どんなものでも輝き続けることはできません。オリンピックが輝いていた時代はもう遠い過去になってしまいました。

猫ひろしを批判する人はオリンピックをいまだに神聖なものだと考えているのかもしれません。オリンピックは少し規模が大きいだけの運動会です。

その運動会に出たくて国籍を変えて、苦しい練習を何度も何度も繰り返した。走るという芸を磨き続けたのが芸人猫ひろしです。ある意味では猫ひろしは本物の芸人です。

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もし彼がカンボジア代表としてリオデジャネイロ五輪に出場することができたなら、これは日本のマラソン界にとっても大きな転機になるような気がします。

オリンピックに出ることだけなら誰でもできる。その程度のことのために日本のマラソン代表の選考基準が不明確だとか議論になることへの強烈な風刺になる気がします。

オリンピックを大切にすることは構いませんが、オリンピックの立ち位置や存在意義をすべての競技の代表者で討論会を行って、東京オリンピックの前に明確にしたほうがいい。わたしはそう思います。

オリンピックって何?
何のためにオリンピックがある?

大事なのはそういう基本的なことを徹底して議論すること。

猫ひろしがカンボジア代表としてオリンピックに出るにふさわしいかどうかの話をする前に、オリンピックの再定義が必要だと誰も言わないのはなぜなのでしょう。

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