独立して半年以上が経過して、ようやく自分の働き方が定まってきました。平日の仕事もどこまでやればいいのか見えてきたので、おそらくここからは16時間労働なんてことをしなくても大丈夫そうです。
これからは14時間労働ぐらいで・・・
超絶ブラックですね、フリーで生きるって。
しかも14時間労働とか言いながら、起きている時間はやっぱりすべてが仕事です。来年の万里の長城マラソンに向けてすべきことが山積みですし、新しく挑戦したいこともあります。
そして何よりも仕事をしている時間が嫌いではありません。
絶対に経営者になってはいけないタイプ。
仕事が生きがいという大人を軽蔑していたのに、気がつけばわたしも仕事が生きがいというか、生きることは働くこと、働くことが生きることになっています。
でも中谷美紀の代表曲「砂の果実」の歌詞にある「恥ずかしい大人」や「空っぽの大人」にはなっていないと言い切れます。
むしろ、いまのわたしには生きているという充実感しかありません。
だって好きなことしかしていませんから。嫌なことは何一つしていない日々。起きている時間のすべてが仕事だったとしても何の不満もありません。
わたしは機械設計が自分の天職だと思っていました。でもいま思えば機械設計は向いているだけで天職ではなかったのかもしれません。
では今の仕事が天職かというとそれはまだわかりません。そもそも天職かどうかなんてどうでもいい。
「生きている」という充実感だけがわたしを支配しています。
村上龍が「無趣味のすすめ」というエッセイで「わたしは趣味を持っていない」と言いました。その言葉の本当の意味がようやく分かったような気がします。
サラリーマン時代のわたしも趣味はなく常に本気であらゆることに取り組んでいるつもりでしたが、今の状況から考えれば本物の本気でなかったことがよくわかります。
いまの本気とは明らかに差がありますし、そしていまの本気も10年後の本気から比べたら本当に小さなものかもしれません。
自分の可能性はまだまだあり、自分の成長は決してこんなところでは止まらないという確信だけがあります。
もっと上手で人の心を動かせるような文章を書けるようになれるし、誰もが喜ぶようなランニングイベントも開催できます。これまでにないようなチャレンジもまだまだできます。
いまはまだ長い長い道の途中。
現状維持を嫌悪し、もっと高く厳しい場所を渇望するような生き方を続けたい。
辿り着いた先がただの荒野で、そこで野垂れ死のうとも「恥ずかしい大人」や「空っぽの大人」になるよりも何百倍もまし。
熱く狂いながら生き続けたい。熱狂の中で働き続けたい。
氷のように冷たい100年よりも、触れることもできないほどの熱を持った1秒を生きる。
積み重なったいくつもの熱い1秒、それこそが人生だ。
スポンサーリンク
コメント