低い自己評価と飛騨高山ウルトラマラソンの3日間で得た自信

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飛騨高山ウルトラマラソン出場のため3日間仕事を休んでいましたが、今日から復帰。なぜかいつも以上に頭の回転が早く、仕事がスムーズに進んでいます。

マラソンをすると頭が良くなるということはないでしょうが、日曜日の100kmはわたしのなかで様々な化学変化を生み出したのかもしれません。

飛騨高山ウルトラマラソンで行った、これまでの自分とは違うアプローチと、そこで得たものに対する自信。

100km走っただけで人間が変わることは絶対にありませんが、この3日間すべてを通して、わたしなりに成長したのではないかとは感じています。

14時間冷静に判断し続けること、そして走り終えてからも、いくつもの考察と実験を繰り返す。小さな気付きが確信になる。いくつもの確信が重なったとき、人は自分に自信を持つことができます。

ただ人間というのは面白いもので、こうやって自信を持ったときにだいたい失敗します。わたしの場合は次の土日に夢の島競技場で行われる24時間マラソンが鬼門でしょうか。

人生は良いことばかりが続くわけではありません。今回の飛騨高山ウルトラマラソンの100kmとそのために過ごした時間はちょっといいことづくしでした。

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走っているときはいろんな人に声を掛けてもらいました。

2年前、初めてウルトラマラソンを走ったときは完全にアウェーの感じ。フルマラソンや裸足ランニングの世界では、わたしのことを知ってくれている人がそれなりにいましたが、ウルトラマラソンの世界では無名の新人でした。

あれから2年でウルトラマラソンをそれほど走っているわけではないのに、ウルトラマラソンを走る人たちとつながり、トップランナーたちから様々なことを学びました。

正直なところ、マラソン大会で声を掛けてもらえることはかなり嬉しいこと。見てくれている人たちの前で不甲斐ない走りはできないという強い想いも湧いてきます。

ただ、そうやって声を掛けてもらえることを当たり前だと思わないこと、そして自分が特別なランナーではないということを忘れないことが大切だということは理解しています。

自分で書くのもなんですが、わたしはかなり自己評価が低いんです。

「自分なんか」みたいなことは舌を噛みきっても言いたくないけど、いつもどこかで「自分は特別ではない」という思いを抱いています。周りの人はみんなそれぞれにすごくて、自分は突出したものが何もない。

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小さな頃からどんなときもわたしに足りなかったものは自信。

ところがこの3日間で小さいものの、確かな自信となるものを手にした気がしています。情報発信をしていく自信と、強いランナーになれるという自信。

自己評価はきっと一生低いままなんでしょうけど、それはそれで自分らしさだとして受け入れます。

それとは別に、もっと伸び代がある、もっと胸を張って生きてもいい。そういう思いを手にすることができた。それがこの3日間最大の収穫かもしれません。

マラソンを走っただけで何かが変わるわけないのですが、マラソンを走ることで自分を変えるきっかけを掴むことはできるのでしょう。そしてわたしはそのきっかけを掴めたわけです。

このブログでももう少し自信を持って自分の考え方を伝えていけるようにしてみます。

もちろん共感してもらいたいわけではなく「こういう考え方もある」ということを知ってもらいたいだけ。そのスタンスはこれからも変わりません。

わたしの言葉は考えるきっかけになればそれで十分。あとは賢い人たちがそれぞれ考えてくれたほうがよっぽどいい答えを出してもらえるはずです。

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