正しくない行いをしながら正しい行いをすることは正義なのだろうか

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友だちの息子2歳と友だちが一緒にお菓子を食べていて、最後の一個を友だちが口に運んだ。息子はあると思っていたものがなくなったのに気づき、「ダメでしょ」と友だちにしつこく言い続けていた。しまいには友だちをたたいて、不満を表現していた。ほほえましい光景である…なんてことをおいらは伝えたいのではない。おいらはこの光景ととても大きな問題がリンクしてしまい、頭がパンクしそうな状態になっている。考えに考えて、自分なりの答えを出そうと思っているのだけれども、どうもうまくいかない。それはシリアの化学兵器使用に関する問題だ。

友だちがお菓子を食べてしまったように、食べたものはどんなに不満をぶつけられても戻ってこない。もしシリアが化学兵器を使用したとしたなら、使用したという事実は消えないし失われた命は戻ってこない。「ダメでしょ」と言ったところで、自体はまったく変わらないのだ。今回のシリアの件は、国連が調査中である状態でイギリスとアメリカが「ダメでしょ」と言い始めた。そして、当初は両国の連合軍でシリアに攻撃を加えようとした。イギリスは議会の反対があり、現段階では関与しないと決め、アメリカの単独武力介入がどのタイミングで行われるのかが注目されている。

シリアが化学兵器を使用したから、アメリカが武力介入する。いったいどういうことなのだろう。アメリカが世界の警察だとかそんなことを言いたいのではなく、化学兵器を用いたことがなぜ武力介入になるのか、そのロジックがわからないのだ。

もしアメリカ(もしくは他の国)が武力介入したとして、いったいどこにゴールというか終りがあるのだろう。化学兵器工場を攻撃して破壊すれば終わりなんだろうか。それともアサド政権が失脚することで終わるのだろうか。化学兵器工場を壊しても、化学兵器をまた作ることは決して難しくない。思い出したくもない話だけれども、オウム真理教が作ったサリンは化学兵器工場で作ったのではなく実験室のようなところで作ったのだと思う。科学者の頭脳と実験設備があれば化学兵器は作れてしまう。そこが化学兵器の怖さのひとつではないだろうか。

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ではアサド政権がなくなれば、化学兵器は使われなくなるのだろうか。そんなことはありえない。人道的な心を持つ人が指導者になれば化学兵器は使われなくなるなんて絵空事でしかない。中東の紛争はそんなに根の浅いものではない。聖人君子が指導者になれるわけじゃない。民衆の心をつかんだものが指導者になる。敵対する民族や集団を滅ぼすことで民衆の心をつかむことだってあるのが中東の国なのだから、そのためなら化学兵器を使う指導者が新たに出てきてもおかしくない。

それでは、化学兵器を使用するとこうなるのだという見せしめになるだろうか。シリアで化学兵器が使われたのならば、なんの効力もないことはむしろシリアが証明してしまったのではないだろうか。イラク戦争の始まりはイラクの化学兵器保有が疑われたことだった。実際に化学兵器は見つからなかっにも関わらず、イラクは壊滅的な攻撃を受けた。なのにシリアでは化学兵器が使われたのだとすれば、武力介入がなんの抑止力にもなっていないことがわかる。

もしシリアで化学兵器を使用させないことが目的であるとするなら、(使用したことを前提として)アサド政権が「ごめんなさい、もう使いません」と言ったらどうなるのだろう。アメリカは振り上げたコブシをどうするのだろう。もう使わないと言っているわけで、使わせないことが目的なら武力介入する理由がなくなる。いや、そもそもシリア紛争で多くの死者や難民が生れていることそのものは化学兵器が使われなければ問題ないことなんだろうか。

化学兵器が非人道的だからそれらの使用も保持も認めないという主張は正しい。正しいが、それは泥棒が「窃盗はよくない」と言うようなものではないだろうか。核兵器保有国が化学兵器はいけないといくら言っても説得力がない。それどころか核保有国の一部は他国が新たに核兵器を保有することを非難する。正義とはいったいなんなんだろうか。正しい行いをすることが正義なら、正しくない行いをしながら正しい行いをすることは正義なのだろうか。正しくない一面があるから正しいことが出来るというのも事実だ。もはや訳がわからない。

落とし所のない戦争は絶対にしてはいけない。もしアメリカが単独でシリアを攻めるならば、必ず目標を明確にしそれをオープンにすべきだろう。どういう状態になれば介入をやめるのか、はっきりさせないうちに「支持する」なんて言ってはいけない。そもそも戦争以外に道がないのかを探すことを諦めてもいけない。

このような大きな問題について考えるには、おいらはあまりにも無学すぎるのだけれども、考えることをやめようとは思わない。正義とは何なのか、正しい答えが出なくても、考え続けなければいけない。この国が手にした平和を維持するためにも、平和な国の1人の民として考えることをやめてはいけない。

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