家にテレビはないのですが、iPadでテレビ番組を見ることはできます。それでも普段はマラソンやサッカーを見るくらいで、たまにニュースを見ることもあります。
昨日もニュースを見ようと思ってiPadでアプリを立ち上げたところ、バラエティ番組にチャンネルが合っていたため、しばらくその番組を視聴していました。貧乏な女性を取り上げる内容の番組です。
二子玉と二子新地ではどれだけ違うかという、貧乏暮らしをしているわたしにはとても興味のある内容だったのですが、その番組に出てきた女性がフリーランスになって、あえて家賃の高い二子玉に住んでいました。
その理由のひとつが名刺に「世田谷区」と入ることが大事だと言うのです。いまどき地名のブランドなんてそんな価値はないだろうと思ったのですが、少なくともその女性は「世田谷区」というブランドに価値を感じています。
ということは世の中に一定数そういう人がいるということです。ブランドをありがたるってどうなんだろうと、わたしは感じてしまったのですが、よく考えてみればわたしだって同じようなことをしています。
わたしは「家賃2万円のアパート」に住んでいるという、ブランドではないものの興味を引くカードを持っています。名刺には誰もが食いつく「ハダシスト」とも書いてあります。
ブランドはブランド名をありがたがっているわけではなく、それに興味を示してくれる人がいるということにポイントがあります。そういう意味では「世田谷区」も「家賃2万円のアパート」も「ハダシスト」大差はありません。
どちらにも自分の本質はそこになく、ただ興味を持ってもらうための入口に過ぎません。自分の本質を見てもらうためにはまず興味を持ってもらう。ビジネスの基本です。
妙なところで納得してしまったことで、その番組には興味がなくなり、もともと見たかったニュースに切り替えると、アメリカ合衆国大統領のトランプさんの特集をしていました。
なぜ違う国の大統領の一挙手一投足にここまで時間を割いて話題にするのか、わたしにはまったくわかりません。
少なくともドナルド・トランプさんは自分が正しいと思っていることをしているわけです。失敗してから叩くのならわかりますが、いまから行動をしようということに対して感情論で騒いでいるように見えます。
別にわたしはトランプさんの支持者でもありませんが、彼がしようとしていることはなんとなくわかります。
彼が行っていることは目先の利益を取るのではなく、もっと長い視点で大局を把握し、羽生さんの将棋のように何手先も考えて行動をしているように見えます。
カルロス・ゴーンさんが日本にやってきて、日産の立て直しをしたとしたときのことを覚えている人はどれくらいいるのでしょうか?彼はリストラを含め次々に会社の立て直しのための行動を取りました。
最初はマスコミも含め「冷酷でひどいやつ」というムードでしたが、見事に日産を立て直すと、今度は「すべての経営者はカルロス・ゴーンを見習え」というような風潮に手のひらを返したように変わりました。
リストラをされてしまった人のことなど、もはや誰も覚えていません。
そんなこと言っても、いま国を逃れて困っている人たちはどうするのだ。ドナルド・トランプのやっていることは非人道的だと主張する人たちもいます。
その主張はまっとうなものですが、保護をするというやり方では世の中は変わらずに、難民は増える一方で、受け入れるにも限界が来ている。アメリカの財政にはそんな余裕がないとしたらどうでしょう。
例えば学校の給食費を払えないという人たちがいて、その人たちのために給食費を肩代わりしている人がいたとします。その人の事業が失敗して肩代わりしていた給食費をもう払えないと宣言しました。それに対して周りが「給食費の肩代わりを止めるなんて非人道的だ」と言っている。
さて悪いのは誰でしょう?
誰も悪くはありません。あえて言うなら「給食費の肩代わりを止めるなんて非人道的だ」と言っている人たちが、あまりにも浅すぎるのではないでしょうか。せめて「自分たちも肩代わりするから、止めないで欲しい」と言うならわかります。少なくとも日本は難民や移民をほとんど受け入れていません。
何が正しいかなんて、時間が経過しなくてはわからないことです。
もしかしたらいま叩いている人たちのいうようにとんでもない暴君かもしれません。でもそれはいまはわからないことで、そしてこれがアメリカの選んだ道です。民主主義というのはこういうもの。
もし難民を1人でも救いたいなら、自分の生活をギリギリまで切り詰めて、給料のほとんどを募金するということもできます。でもきっとみんな自分が痛い思いはしたくないし苦しみたくない。
誰も他の人の給食費を払いたくないというのが本心でしょう。
「お前がやっていることは間違っている、正しなさい」と言うのはエゴです。相手のしていることを尊重し、その上で自分が何をすべきか考えるべきです。
他の国で起きていることに過剰に反応せずに、わたしたちはいま自分にできることを考えて行動する。目の前にいる人をどうやって喜ばそうか考える。自分がその器だと思うなら世界中にいる困った人を喜ばせる方法を考えてもいいと思います。
人生の限られた時間の中で、自分がやるべきことを全うすればそれでいいんじゃないかと。世の中には批判をすることが自分のやることになっている人もいますが、まあそれもその人の生き方でしょうから好きにすればいいかと。
イライラしてもどうしようもないことについて考えるよりも、自分がどうすれば笑顔になれるか、大切な人をどうやって笑顔にしようか考えるほうが考えて実行すればいいのになと、わたしは思います。
わたしたちが持っている時間は無限じゃないということを忘れないようにしましょう。
どうにもならないことに腹を立てながら生きている人より、まだ「世田谷」ブランドを活かして何とかして、這い上がってやろうと考えている女性の方が健全で人間らしくて魅力的だと思います。
なんでも情報が入ってくるから、手に届かないところでやっていることを身近に感じますが、昔で言えばお殿様が決めたこと。それに対して文句をいうのではなく、いま自分がすべきことを自分で考えて、行動しませんか?
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