松山城の改修の映像の中で、足場を竹などの木材で組んでいるのを見て、日本が近代化したのは本当にこの数十年なんだなということを再確認しました。
つい150年前までは腰に刀を挿してお侍さんが偉そうに歩いていたわけです。当時は世の中には暗殺やら、何やら当たり前にあって、金正男さんのようにお家騒動のようなことも普通にあったわけです。
わたしの祖母はいまだに狐が人を騙すと信じているらしく、実際に江戸時代の旅のガイド本には「狐や狸に騙されないように」というような注意書きがありましたので、おそらく昭和の初期でも、狐や狸が人を騙すのがあたりまえだと思われていたわけです。
そんな時代からたった100年足らずで、日本は足りないものは何もない国になり、足りないものがないことにより問題が発生する国になってしまいました。
便利になりすぎたことで不便になったのはなんとも皮肉なことですが、それも人間の業によるものだと思えば、学ぶこともたくさんあります。いまのこの国の姿を嘆いている人もいますが、この形がすべての国民の総意なわけです。
悪いものはより良いものに変えていくべきなのかもしれませんが、悪いものを排除した結果、良いものまで失われてしまう可能性があるということを、わたしたちはそろそろ気づくべきです。
わたしたちに足りないものは何もない。禅の言葉ではそれを「知足」と呼びます。
一方で「百尺竿頭に一歩を進む」という前後もあります。わたしの好きな言葉ですが、ここが一番前だと思ったところから、さらに一歩を踏み出すという意味があります。
ここが限界じゃないよ、限界だと思ったところからさらに前に行けというメッセージと、前に進めなければ後ろに進んで来た道をもう一度再確認すればいいというメッセージでもあります。
崖っぷちに立たされて「一歩進みなさい」と言われたときに、ほとんどのひとは、前に進むと危険だからとそこで動けなくなりますが、そこでさらに一歩前に踏み出す向上心と、後ろに一歩進む想像力。
いまの日本はまさに足がすくんでどこにも向かえないうえに、知足とも割り切ることができない状態にあります。それは国だけではなく、個人でも同じような気がします。
自分にはもっと違う人生があったんじゃないかと思い悩んだり、それでも思い切って人生の舵を切れなかったりして、あいつはいいよなと他の人を羨んだり。
情報が多すぎて、何が正しいのかがわからなくなっている。いや、本当は何も悪いことなんてないのに、自分で自分にブレーキを掛けてしまっていませんか。
昔は仮面ライダーが正義でショッカーが悪でしたが、世の中はそんなシンプルではなく、ショッカーにはショッカーの正義があり、仮面ライダーも自分のしていることが本当に正しいのか悩む時代です。
いまの自分を正当化するために誰かを叩く。叩かずには自分が自分でいられない。
自分と考えの違う人、スタンスの違う人のあり方を認めて、そのうえで自分はこうだという、あるべき姿を明確にすれば誰も叩かずに、誰も嫌な思いをせずに生きていけるのに。
自分が正しいのはいつだって自分の中でだけ。そこから一歩出たら自分が他人にとって悪になることもある。仮面ライダーだと思っていたら、ショッカーだったというようなことのないようにすること。
そのためには自分が仮面ライダーだと思い込まないことが大切です。
そしてできるだけ早く、知足とするか一歩を進むか、一歩を進むならどこに進むのかを決めましょう。どれが正しいというわけではなく、しかもその答えは時の流れとともに変わるべきものです。
大事なのは意味なくとどまらないこと。自分で考えて自分で動くこと。
きっとその先にこの国がもっとよくなっていく、未来があるのではないかと思います。正直なところこの国の未来よりも、もっと身近な人たちが不要な苦しみから抜け出すことができればそれでいいのですが。
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