なぜオリンピックは原っぱで開催することができないのか

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愛媛マラソンが終わって、松山市内は一気に国体モードへと移っています。国体が開催されるのが9月30日からですから、この1年間はその準備のために愛媛県人総出で大会を盛り上げていくことになります。

わたしはこれまで国体というものを意識したことがありませんでした。ところがこちらの新聞では連日えひめ国体に関する新聞記事が掲載されているため、嫌でも意識せざるを得ません。

ここ数日の記事の中心は、いかにして費用を抑えたかというものが多く、例えばボート競技のために新しく購入するボートは、えひめ国体以降の開催地と共同購入をしたり、競技に必要な用具を高校生たちの手で作り上げたりと、何十億円という単位で出費を抑えようとしています。

愛媛県の人たちのやる気を高めて、すべての県民が関われる国体を目指し、ボランティア活動なども積極的に行っていくことになるようです。

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そういう報道をみていると、国体とオリンピックの正反対な性質が気になります。国体はおそらくどの自治体も無い袖は振れないということで、とにかく徹底して無駄を省くどころか、無駄でないものを削ってでも予算を小さくするための工夫をしています。

水泳競技のプールは仮設プールになり、国体後は内子町のプールとして使われるそうです。

同じことをなぜオリンピックでできないのか。もっといえば、オリンピックはなぜ原っぱで開催することができないのか。どうしていちいち施設を立て直さなくてはいけないのでしょう。

レガシーとして残すと言っていた偉い人がいましたが、レガシーとして残したいのは現代人のエゴで、そんなものを残された50年後100年後に東京で暮らす人にとっては、ただの金食い虫の施設になるかもしれません。

大体、レガシーとなるはずの国立競技場を壊したばかりではないですか。古代遺跡でもないのですから、実用性重視の施設は時代とともにあっという間に古い施設になってしまいます。

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今の最新の技術を使って作ったプールも、50年後には時代遅れの技術で作られたプールになります。まともに使えて20年がいいところでしょう。

世界中からお客様を招くのだから、日本の名に恥じない施設をと思うかもしれませんが、日本の誇るものはもはやハードではなくソフト面しか残されていません。力を入れるべきはハードではなくソフトであるべきです。

日本の文化は極限まで無駄を削ぎ落とした中にある美しさであるはずで、最新の技術をふんだんに使ったごちゃごちゃした施設ではないはずです。茶室のような一切の無駄がない空間の競技施設。

いやそんなものすら一度リセットして考えたほうがいいかもしれません。オリンピックをするのに競技施設が必要だという常識を疑うことから始める。

いまさらそんなところからやり直しても間に合わないことくらい分かっていますが、えひめ国体の活動を見ていると、お金をかけないことと県民の参加意識を上手に融合させていて、これこそ政のあるべき姿だなと感心させられます。

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別に本当にオリンピックを原っぱでしてほしいなんて思っているわけではありません。でもなんで原っぱでできないのだろうという疑問を持つこととはとても大切なことです。

そういう疑問からオリンピックの本質が見えてくるはずです。

オリンピックは最高の舞台だから、最高の環境を提供しなくてはいけない。一見するとごもっともに思えますが、それって本当?そもそも最高の環境というのはどういうもの?

レガシーとして後世に残したいというのももっともな話ですが、レガシーとして残された長野オリンピックの施設は今どうなっているのでしょう?

お金が有り余っているなら別に好きにすればいいのでしょうが、東京都も政府も完全に袖がないのに降っているような状態です。その負担は誰が負うのか。それは間違いなく東京都民であり、日本国民です。

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東京オリンピックで儲かる人がいて、その人たちの利益を守るために必要のないものにお金をかけなくてはいけない。別に勝手にすればいいとは思うものの、そういう利権なしでは成立しないオリンピックってなんだろうなとも思うわけです。

せっかくのオリンピックを過去のオリンピックの後追いに使うのはもったいない気もします。

そしてやっぱり心のどこかで、原っぱで行われるオリンピックを見てみたいという気持ちもあります。最高の舞台で開催されるオリンピックではなく、選手と観客によって最高の舞台へと作り上げるオリンピック。

えひめ国体の記事や報道を松山で見ているとそんな想いが高まってきます。

手作り感のある国体が許されて、手作り感のあるオリンピックが許されない理由。その違いはいったいどこにあるのか、それを考えることはランニングイベントを行う者として、決して意味のないことではない。そんな気がしています。


東京オリンピック 「問題」の核心は何か
著者:小川 勝
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