リラックスするためにハダシストが選んだこと

リラックスのために時間を費やすのが苦手です。何もせずにぼーっとしているとだんだん不安になってきて、リラックスどころかそれがストレスになります。だから常に動いているわけですが、ランナーとしてこれはどうなのでしょう。

マラソンはリカバリーのスポーツです。リカバリーの間に成長しますので、しっかり休まないことには速くなることはありません。厳しいトレーニングを行うのもリカバリーをさせるためとも言えます。

厳しいトレーニングをして体に負荷をかけ、その回復によってトレーニング前よりも少しだけ筋力や持久力がアップする。そのタイミングでまた厳しいトレーニングを行う。古典的な超回復理論ですが、今でもこの考え方があらゆるトレーニングのベースになっています。

マラソンはポイント練習を行いますが、3日に1回のペースで行うのは、人間の筋肉が48時間前後で回復するからです。だから、この48時間をどう過ごすかで、競技者としての質が変わってくるわけです。

そこで、大事なのはリラックス。

それは頭では分かっているのですが、例えば愛読書片手にカフェでくつろぐなんてことはできません。社会人になったばかりのころは、土日になると本屋に行って、ランチにカフェで食事をしながら買ったばかりの本を開いていました。

なんて優雅な生活でしょう。そして、なんて無駄な時間を過ごしていたのだと、今のわたしは思うわけです。その時間を勉強に使っていれば、今頃もっと楽できていたはずなのに。後悔先に立たずとはこのこと。

でもランナーとしては、リラックスするのも大事なのではないかと、愛媛マラソンに目標を決めたところで思い始めました。睡眠と同じで、好き嫌いではなく必要なもの。追い込む練習をするなら、きちんとリフレッシュもする。

・読書
・プラモデル
・温泉
・ピラティス
・座禅
・瞑想
・散歩
・映画

ありきたりなものばかりですが、仕事やランニングと離れてこういうことをしてみるのがいいのでしょう。でも、これらは全部試しました。そして続きません。読書は移動中にしますが、家ですることはありません。

続かないものは合っていないんだと思ってます。最近では、昼ごはんを14時にするということを試しましたが無理でした。どうやっても12時にお腹が空いて集中力が切れます。12時にはこだわらなくはなりましたが。

プラモデルも途中で飽きてしまいます。だいたいあれは、集中力を使うのでリラックスとは真逆です。しかも老眼になってきて細かい作業がつらい。瞑想とか座禅とかは本当に続きません。

わたしは食べ物でも何でも続かないものは、きちんと理由があると思っています。実際にあまり好んで食べていないものが、自分の体には良くないものだったというのがここ最近で何度も経験しました。

だから上に書いたリラックスのためにすることは、自分にとってメンタルの部分で必要のないもの、マイナスになる要因を含んでいるんだと思っています。それが何なのかは分かりません。

でも、ピラティスや読書はランナーとして物書きとして必要なものなので、毎日とは言わないですが、なんとなく継続はしています。ただ、リラックスのためにとなると無理な気がします。

それ以前に「やらなきゃいけない」となると、もう話が変わってきます。これはランニングでも同じことで、ランニングでは基本的に「走らなきゃ」と思うことは一切ありません。

ポイント練習の日は憂鬱ですが、その理由はポイント練習が嫌なのではなく、前回よりも走れなかったらどうしようという不安にあります。前回よりも走れなかったら成長が止まっているわけですから、それは恐怖でしかありません。

だから憂鬱になるわけですが、「ポイント練習しなくてはいけない」と義務感があるわけではありません。だからランニングは続いています。物書きの仕事もそうですね。やらなきゃいけないという感覚はありません。文章にしたいことは、無限にあります。

ではどうすればリラックスできるのか。結局のところ「走る」しかないのかなと思います。走っている時間は心も体もスッキリします。本当はランニングとはまったく違うことがいいのでしょうが、何をするにしても本気で取り組んでしまう性格。

だから、わたしはポイント練習以外のランニングでリラックスする。それでいいのかなと思います。どんだけ走るのが好きなんだよと思われそうですが、走ってみれば分かります。ランニングの時間は他に替えが効きません。

とはいえ、たまには温泉に行ってみようかな。せっかく鶴巻温泉で暮らしているわけですから。



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