縁があり、猫ひろしさんの映画&上映会に参加させていただきました。映画は2017年に上映された「neko the movie」で、芸人・猫ひろしがカンボジアに国籍を変え、オリンピックに出場するまでの軌跡を描いたものです。
すでに映画館などで上映はされておらず、動画配信サイトなどにもありません。なので2017年に見逃したわたしにしれてみれば、とても新鮮な体験でもありました。RUNNING STREET 365のツイッターアカウントで、少し絡みがあった直後で、芸人・猫ひろしの存在が気になっていたところではあったので。
そこで、今回はカンボジア人猫ひろしにスポットライトを当てて、彼がなぜランナーとしてのピークを過ぎてもカンボジアを背負って走り続けるのかについて、私見ではありますが、ご紹介していきます。
猫ひろしは市民ランナーの星
このブログでも何度か書きましたが、わたしは猫ひろしさんに負けたことがありませんでした。それは彼がオリンピック出場を目指す前のことで、彼は普通に「そこそこ速いランナー」の1人でしかありませんでした。でも、オリンピックを目指してからはもはや手の届かない人になってしまいました。
でも、忘れないで欲しいのは、彼もサブ3達成を目指すレベルのランナーであったということです。そこから始まって、カンボジア人としてリオオリンピックに出場しています。こんなシンデレラストーリーが他にあるでしょうか。
それもすんなりと決まったわけではなく、日本のマスコミが叩いたこともあって、IOCからロンドンオリンピックでの出場がNGとされています。1度は大きな壁にぶつかりながらも、さらに前に進むことを決め、その夢を実現させました。
そして彼が1度の成功で満足するのではなく、40歳を超えた年齢で、東京オリンピックをカンボジア人として参加しようとしています。
彼が特別だと考えるのは簡単です。でも、彼は特別ではありません。ただの足が速い芸人の1人でした。芸人としても成功者とは言えないかもしれません。でも、走ることが彼に未来を与えてくれました。これはわたしたちにも言えることです。
猫ひろしはカンボジアの星であり、わたしたち市民ランナーの星でもあります。特別な人という意味ではなく、本当に身近な存在としての星。そんな彼が、なぜカンボジアであることを続けるのかといことについてお話します。
猫ひろしはカンボジア人としてカンボジアを背負っている
最初はネタだったと思います。カンボジア人としてオリンピック出場をしたら面白いだろうという気持ちで始めたことには、きっと本人も否定することはないかと思います。才能がない人が芸能界で生き残るには、それくらいの覚悟が必要ではありました。
カンボジア人としてオリンピックを目指せば、それだけで話題にもなりますし、あちこちで仕事をもらえます。ひな壇芸人にもなれず、R-1ぐらんぷりでも勝てない芸人。でも、ランナーとしての仕事は確実に増えています。
とはいえ彼が走り続ける理由は、きっとそういうことではありません。彼は間違いなくカンボジアという国を背負っています。オリンピックに出たいためだけに国籍を変えたのは過去の猫ひろしであり、現在の彼は多くのカンボジア人の想いを背負っています。
カンボジア代表として出場したレースで、思ったような結果を出すことができずに悔し涙を流す。自分が代表になることで、誰かが1人が代表になれない、オリンピックに出れないことに対して、誰よりも強い責任感を持っている。
オリンピックに出ることだけを考えて生きている芸人は、おそらく世界でも彼1人だけかもしれません。
夢が叶うから諦めないのではない
ロンドンオリンピックで、猫ひろしさんは世界で1番オリンピアンに近づいた男でした。IOCの認可も下りたのに、国内のマスコミがあることないこと騒ぎ立てた結果、IOCは新しいルールを作って彼をオリンピックから締め出しました。
完全に手をかけていたのに、それは最初からなかった幻のように消えてしまった夢。国籍を変えてまで挑戦したのに。
ただ、猫ひろしさんはそこで諦めず、4年後のオリンピックを目指す道を選びます。日本人の半分くらいが「どうせ日本国籍に戻すに決まっている」と思っていたのに、彼はあえて険しい道を選びました。
リオオリンピックに出場したら39歳という、アスリートとしてはとっくに旬を過ぎている年齢です。カンボジアで生活している間はお笑い芸人としての収入も止まってしまいます。それをあと4年も続けなくてはいけない。
ただ彼はオリンピックだけを見つめ続け、何度も崖っぷちに立ちながらも、最終的にはみんなが知っているように、リオオリンピックに出場しています。
ただ何度も壁にぶつかった猫ひろしさんは「努力すれば必ず夢が叶うわけではない」と言います。叶ったはずの夢が、自分ではなんともしようのない形で奪われてしまったのですから、現実の厳しさを嫌というほど知っています。だから安易に「夢は叶う」とは言いません。
ただ、彼は言いました。「夢に向かって努力することは素晴らしい」と。
猫ひろし東京オリンピック出場への挑戦
リオオリンピックが終わり、本来ならそこで引退という道も選べたのかもしれませんが、人生とは筋書きのないドラマで、リオオリンピックの次は東京オリンピックとなっていたため、猫ひろしさんはまたオリンピックだけを見つめることになりました。
すでに42歳という年齢で、選手としてはとっくにピークを過ぎているはずです。でも生まれ育った国で開催されるオリンピックを、目指さないという選択肢はなかったのでしょう。彼は自分を追い込む生活を重ねる道を選びました。
ただ、今度は誰も無謀とは言いません。むしろ多くの日本人が、猫ひろしさんがカンボジア代表として札幌を走ることを期待しているはずです。いや、カンボジア人にとっても彼は特別な存在です。リオオリンピックのマラソンのゴールで起きたカンボジアコール。誰もがあの再現を願っているはずです。
それに応えるかのように、猫ひろしさんは先日、42歳にしてハーフマラソンの自己ベスト更新を果たしました。あとは東京マラソンでいい結果を出すだけ。ここで自己ベスト更新をすれば、東京オリンピックのスタートラインがグッと近づくはずです。
ただ、それが必ず叶う夢とは限らないことを彼は知っています。
なので彼は黙々とトレーニングを積み重ねます。日本ではマラソンタレントとして、全国を飛び回っているにも関わらず、ほぼ毎日数十キロの距離を走っています。走ることが仕事だから。そう言うのは簡単ですが、実際に行うのが難しいことは、多くのランナーが実感しているはずです。
だからこそ応援したくなる。コツコツと走る姿を見ていると自分ももっとできるはずだと思わずにはいられません。もうその背中は手が届かないところにいってしまいましたが、諦めずに追いかけ続けたい。そんな気持ちにさせてくれる猫ひろしさんの「ランニング芸」、今後の展開に期待しましょう。