仕事のスタイルとマラソンのスタイルは似ている……かも

UberEatsの配達をしていると、たまに仕事の遅い店員さんに出会う。近所のスーパーなどでもあることなので、世の中には一定数のそのような人がいるのだろう。わたしはこのタイプの人たちが苦手なのだが、本人も悪気があるわけではないのは理解している。

わたしは動きに無駄のない人が好きだ。目的地を定めたら、高い集中力を維持して迷いなくそこに向かう。ただ、さらに上手な人もいる。スピード感はないのに、気がつけば作業が終わっているタイプの人たちだ。おしゃべりをしていたかと思ったら、仕事はきちんと終わらせていたりする。ここまで来ると変人の世界だが、自分もその領域に踏み込みたいとも思う。

このレベルの人になるには、仕事が早いのはもちろんだが、周りに対する気遣いが上手いように感じる。仕事が早いだけの人は集中力を高めて作業をするので、周りが見えなくなる。これはわたしも経験がある(深く反省している)。全力疾走しているのと同じような状況だから当然と言えば当然だ。

だが仕事というのは、必ずしも1人で行うわけではない。顧客がいるケースもあれば、チームで仕事をすることもあって、自分のことだけ考えればいいという職種は限られている。機械設計などは比較的、自分だけの世界に入り込みやすい仕事で、ライティングもそういうところがある。幸運にもわたしは、自分の得意とするフィールドでしか戦っていない。

それは悪いことではないのだが、いつまでも安全地帯にいたのでは成長はない(成長したいかどうかは別問題として)。自分の苦手とする場所にも積極的に立ち、失敗しながらも前を向くことが成長につながる。わたしがいつまで経っても一皮剥けないのはそういうところに問題があるのかもしれない。

一方で自分のペースを守るというのも大切なことだと。対人の仕事はある程度早くないと職場にも顧客にも迷惑をかけることになるが、自分の無理なく出せる以上のスピードで働き続けることはできない。1日なら何とかなるかもしれないが、1ヶ月も続かないだろう。UberEatsの配達でもそうなのだが、ペース配分というのは思った以上に大切になる。

スピードを上げすぎて、仕事の質を落としても意味がない。社会で求められるのは100点満点だけであり、99点ではいけない。自分の仕事は完璧にこなして、なんなら要求された以上の結果を出すのがプロの仕事。いくら作業が早くても、ミスばかりしていたのでは「使えないやつ」扱いされる。仕事が遅くてミスも多いとなると、それはもう救いようがない。

ちなみに、救いようがないというのは仕事においての話であって、個人的な付き合いの場合はまったく関係ない。仕事が遅いからといって、人間として劣っているわけではないし、その人にはその人の魅力がある。のんびりマイペースだが、そこにいるだけで場の空気を和らげてくれる人がいるが、そういう存在は貴重だ。

だが仕事となると、やはりスピードは重要だ。テキパキ働いてもらわないと、こちらのリズムが狂ってしまう。反対に仕事が遅い人にしてみれば、急かされるようで、居心地が悪いだろう。どちらが正しいという話ではなく、これは相性の問題だ。もちろん、誰とでも上手く合わせられる人もいるだろう。残念ながらわたしはそうではない。

だからいつも、すべてを自分でやろうとしてしまう。これが自分の弱いところだとは自覚している。周りを頼ればもっと楽になることは分かっているが、ストレスを抱えたくないから全部自分でやる。こうやって言葉にすると、いかに会社員という立場が向いていなかったのかよくわかる。これでちょっとしたグループのリーダーだったりするのだから、上司にしてみれば困る存在だっただろう。

それはともかく、人にはそれぞれ適したペースというものがある。みんなが同じスピードにならないのは、マラソンとよく似ている。わたしは誰かに合わせるのが苦手なのだが、マラソンでもそういう傾向がある。気がついたら自分の前後に誰もいないなんてことは珍しくない。集団について行くというのも苦手。

他の人の走りを見ていると、仕事の仕方が見えてくることもある。丁寧にコツコツ積み上げるタイプの人や、周りに流される人。自分はどんなタイプなのか客観的に考えてみるといい。ランナーとしての個性に気付けるかもしれない。「調子に乗りやすいタイプだから前半は抑えよう」そんな感じで考えられれば理想だが、上手くいかないのも含めてマラソンの魅力であり、個人の魅力でもある。

仕事と違ってネガティブな個性もプラスに変えられる。だからマラソンは面白いのかもしれない。

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