服部勇馬選手が熱中症になっても完走したことについて【リタイアできる市民ランナーになろう】

オリンピックの男子マラソンについて。服部勇馬選手が熱中症の重い症状になりながらも完走したということがニュースになっていましたが、美談のように書かれているところが気になって、どうしても伝えておかなくてはいけないことがあったので、過ぎたことですが書いておきます。

先に伝えておきますが、これは服部勇馬選手を批判するつもりもありません。彼には彼の想いや事情があってそれを選んだけで、それを関係もない私がとやかく言う資格はありません。また、あのコンディションでマラソンを開催したIOCを批判するつもりもありません。私なんかよりもよっぽど賢い人たちが決めたことですし、私が走るわけでもありませんから。

目次

調子が悪いと感じたら絶対にそこでストップすること

まずは1番大事なことから伝えておきます。それはどんな事情があったとしても、私たち市民ランナーが苦しみながら走るのはNGということ。特に熱中症のように明らかにコンディションがおかしいときに、無理して走るなんてことがあってはいけません。それはレースであってもトレーニングであっても。

苦しいのを乗り越えると成長できるみたいな思い込みがありますが、そんなことはありません。昭和時代のスポ根漫画の読みすぎです。もちろん、どこかで耐えることも必要です。苦しい練習を乗り越えることで精神的にも強くなります。でもそれはまだ体が正常に動く範囲でのこと。

  • 熱中症にになっている
  • 脱水症状になっている
  • 低体温症になっている

このような状態で頑張ることに1ミリも価値はありません。自ら自分の寿命を縮めたり、周りの人に迷惑をかけるようなことをしないでください。走っていてふらついたり、体が震えたりしたら、それはもう終了の合図です。自分自身が無理をしないことも当然ですが、周りの人がそれをして完走しても「すごい」とか言うべきではありません。

少しもすごくありませんから。スポーツで無理をすることは軽蔑してもいいくらい「よくないこと」です。このことは絶対に忘れないでください。むしろ自ら止められる人を「ナイスジャッジ」と褒めてください。危険を感じたときに止まれる人こそ1流です。フィニッシュラインまで残り1kmであっても無理なら止める。

私たち市民ランナーは無事に家に帰ることが最大の目標になります。そのために日々のトレーニングを積んでいます。タイムというのはその前提を守った上で目指すものであり、倒れてもいいから記録を狙うというのはなしです。もちろん私個人の考え方でしかありませんが。

アスリートが無理をするのはメリットが勝るから

では服部勇馬選手が完走したことについてどう考えるか。

私個人としては当然リタイアしておくべきだと思いますが、トップアスリートは命をかけてスタートラインに立っている可能性があります。そこで結果を出せなければアスリート人生が終わっても仕方がない。それくらいの決意があるんだと思います。オリンピックのスタートラインに立ったことがないので分かりませんが。

きっと走っているときに服部勇馬選手の中でも葛藤があったはずです。そして自分の置かれている立場や支えていくれる人たちのことを考えて「走る」を選んだわけです。死んだとしても前に進むことこそが、自分に求められていることだと。もし後遺症が残ったとしても、リタイアしたときのダメージよりは小さいと判断した。

それはそうでしょう。今回のオリンピックでは数々の選手がバッシングされてきました。そのような状況の中でリタイアをしたら、どのような目に合うか分かったものではありません。それはそれで選手生命を奪う可能性すらあるわけで、彼の天秤は完走することに傾いたというだけのこと。

別に彼は根性論で完走したわけではないでしょう。言い方は悪いですが打算なわけです。それは朦朧とする意識の中で選んだことなので、正しい判断だったかどうかはわかりません。でも彼にとってオリンピックというのはそれだけ重たいもの。その領域の話は当事者でないとわかりません。

はっきりしているのは、私たちがどうこう言うようなことではないということ。そして私たちはそこから学べばいいだけのこと。ただ人によっては「苦しくても諦めずにゴールを目指すこと」をよしとする可能性もあるので、あえて「そうじゃない」ということを書きました。

30℃を超える気温の中で走ることに意味はない

これはずっと言っていることですが、私たち市民ランナーレベルで、30℃を超える気温の中を走ることに意味なんてありませんし、デメリットしかありません。走りたいならジムに行ってランニングマシンを使えばいいですし、午前5時に起きて走りに行けばもっと快適な環境で走れます。

30℃を超える気温の中で走っている人は、自分に酔っているだけです。「お前も走っているじゃないか」と言う人もいるかもしれません。確かにそういうことをしていたこともありますが、今ではそういうことはほぼしません。旅ランでも日中は歩くか休んでいます。そこで消耗するとリカバリーに時間がかかり、デメリットのほうが大きくなりますから。

真夏に汗をダラダラかきながら真剣に走っている人を見かけますが、自殺願望があるようにしか思えません。もちろんそこに達成感がありますし、当の本人は気持ちいいのでしょう。しっかりと熱中症対策をしている可能性もあります。でも、暑い中走っていることに酔っているようにしか見えないことがほとんど。

それで成長するならいいですけど、人間の体の仕組みを考えたら消耗しかしません。ましてやそれをSNSにアップするなんて私からしたら狂気の沙汰でしかありません。そしてその投稿に「いいね」を押す人も。私たちは時々立ち止まって、何のために走っているのかよく考える必要があります。

真夏に走るのは自由です。でもきちんとデメリットを分かった上で走ったほうがいい。100歩譲って走るとしても、体に異変を感じたらすぐに止まる。それができないのなら涼しい時間に走ったほうがいい。私たちが命をかけて走る理由なんてどこにもありませんから(理由がある人もいるかもしれませんが)。

無理をすることを称える文化を終わらせたい

努力は美しいですし、やるまえから「自分にはできない」と言う人がいると無性に腹が立ちます。でも、それと無理をすることは全然違います。苦しんで倒れそうになりながらも踏ん張って、その上で何かを成し遂げる。私はそれを美しいとは思いません。そんなものは自己満足でしかありません。

少なくとも科学がこれだけ進化した時代にするようなことではありません。マラソンはいずれもしかしたら、なんらかの装置を装着することが義務付けられ、そこに危険信号が出たら自動的にリタイア扱いになる時代が来るかもしれません。人間というのは限界の向こう側に行こうとしすぎるので。

でもそれができたとしても市民ランナーのところまで、そのシステムが降りてくることはなく、やっぱり私たちは自分の身は自分で守らなくてはいけません。機械に自分の限界を判断してもらうのではなく、自分自身で立ち止まる。それができるランナーになることこそ、スタートラインに立つ最低条件。

レースを途中で放棄することが、勇気ある行動だと褒められるような世界にしたいというのが私の願い。マラソンごときで誰1人として命を落としてもらいたくないんです。誰にだって死を悲しむ人はいるのですから。だから無理はしないでほしい。無理のラインを自分で決められる人になってほしい。

私が願うのはそれだけです。それはマラソンだけでなく、生き方そのものも。仕事や人間関係などで無理をして心が壊れるという人をたくさん見てきました。「そこで踏ん張らなくてもいいんだよ」と声をかけるべきだった後悔したこともあります。だから余計に思うわけです。「つらいときは立ち止まれ」と。

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