
100km走った後に倒れ込んでスタッフが助けなかったとか、疲労骨折したとか、27時間テレビの100kmレースは変なところでいちゃもんが付いているようですね。私はレースを見たわけでも関わってるわけでもないので、中立的な立場で言いたいことがひとつ。
あくまでも私の考えですが、ウルトラマラソンを走り終えて倒れた人を支えたり、周りがサポートしたりするのはとても違和感があります。理由はいくつかあるのですが、まず走り終えて倒れ込むというのは、体力的な限界が来てそうなってるわけではないと考えています。
倒れ込むのはメンタルの部分、もしくは美意識の部分の話になります。100kmや42.195kmをちょうど走り切ったところで、都合よく体力がを使い切ることなんてことはありません(ゼロではありませんが)。なので集中力が切れたか、それともここで倒れる自分に酔ったかのどちらか。
別に後者が悪いとかいうわけではありません。むしろ私の感覚では後者のほうが救いようがあります。救えないのは前者。ゴールした瞬間に集中力が切れて倒れるなんて、スポ根漫画もしくはワンピースの読み過ぎです。ランナーとしてはやってはいけないこと。
ランナーにとって、レースを走り終えて家に帰るまでがマラソンです。人によっては、翌朝いつもどおり出勤するまでがマラソンです。私は翌日は働かないと決めていますが、それでも家に帰って布団に入るまでがマラソン。そこまで、集中力をゼロにすることはありません。
オールアウトしたことがないから、そんなこと言えるんだろうと思うかもしれませんが、マラソンやウルトラマラソンでオールアウトすることはありません。短い距離のレースのように、すべてを出し切るなんてことはマラソンでは起きませんし、する必要もありません。
周りの人間が支えたり、涙したりするから、倒れ込むのがいいことのように勘違いする人が出てきます。チヤホヤされたいから倒れたりするわけです。本当はまだ余力があるのに。もっとも、それをあえてするのがタレントであり、それができない人が生き残れない世界なのかもしれません。
私なんかの価値観で、あれが正しいとか正しくないとか言っても、どこにも響かないし、何の意味もありません。なぜならテレビの世界ではそれが正解だから。100km走ったら今にも気を失いそうなくらいの表情で倒れ込むことが求められて、それに応えるのが彼ら、彼女らの仕事なわけです。
もちろん、今回レース後に倒れた人がなぜそうしたのかは本人しかわかりません。ただ、そうするのが正解だと思ったことは間違いありません。それは本能的なのか意図的なのかはわかりませんが、彼女の何かがそうさせただけのこと。そして現場のスタッフはそれを見て緊急性を感じなかった。
ただそれだけのことなんじゃないかと。最初から救助を用意しておけとかいろいろ言ってる人もいますが、そんな過保護な環境は見ている側に違和感を与えてしまいます。キプチョゲのサブ2が公式記録にならないのと同じこと。手厚いサポートがあったらあったで文句を言う人がいるわけです。
疲労骨折に関しては、残念でしたというしかありません。走っていれば誰にだって起きる可能性があります。事故みたいなものです。もちろん鍛えることである程度は回避できます。でもトップアスリートでも起きます。大事なのはそれを美談にしないという強い意志。
でもそれもテレビの世界では真逆で、彼らはそれを美談にしてお金を稼いでいるわけです。私たちの生きる世界とは価値観がまったく違うわけで、外野が騒ぐことも含めてエンタメです。ただ、やっぱりゴール後に倒れるのはやめたほうがいい。少なくとも自分自身のために走っているなら。