東京マラソンのゴミ問題に潜む「マナーを守れない自分」

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数年前まで北京の街は「ごみのポイ捨て」があたり前でした。

そこらへんに捨てても清掃する人がいるからかまわない、という考え方なのですが清掃する人がいない場所ではポイ捨てされたゴミは溜まっていくだけ。
その結果として北京は汚い=中国は汚いというイメージが定着していました。

いま北京の街、少なくともわたしの行動範囲でポイ捨てをする人はいません。
街のいたるところにごみ箱が設置されているということもあるのですが、北京市民の意識の変化がポイ捨てをしなくなった最大の理由です。

昨日の東京マラソンの記事をかなり多くの人に読んでもらいました。
運営側の努力と、ランナー側の意識の変化が必要だと考えて記事を書きましたが、「 ランナーがよくない」「運営側が良くない」と様々な受け取り方をしてもらえました。

あれだけ反響があるということは「ほとんどのランナーはポンチョを投げ捨てたりしない」のでしょう。
本当に一部の人だけの行為ですが、3万7千人もいると一部の範囲が大きすぎるのかもしれません。
10人に1人でも3700人ですから。

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ほとんどのランナーはエイドのドリンクの紙コップをごみ箱に入れます。
人によっては投げて跳ね返ってきたものを拾って入れなおす人もいます。
でも一部の人はごみ箱に入れることもなくその場に投げ捨てたりもします。

皇居を走ったことのある人は知っているかもしれませんが、皇居ランニングのコースにはマナー標識が立っています。

皇居周辺 歩道利用の9カ条

歩道は歩行者優先
歩道をふさがない
狭いところは一列に
周回は反時計回り
タイムよりゆとり
「ながら通行」は控える
自転車はすぐに止まれるスピードで
ゴミは必ず持ち帰る
思いやりの心で

「周回は反時計回り」以外は、あたり前のことばかり書かれています。
でもそのあたり前が守られていないから、ルールが作られ標識が立ってしまいます。

もちろん「一部の人のマナーがわるい」ためです。

鎌倉のハイキングコースをトレイルランニング禁止にしようという動きが話題になりました。
これも一部のトレイルランナーのマナーが悪いために起こったことです。
悪いのはいつだって一部の人。

本当にそうでしょうか?

ここまでくると、「一部の人」では片付けられない、もっと根深い問題が潜んでいます。
おそらくマナーを守っていると言い切れるランナーも、自分自身の中にマナーを守れない自分がいるのではないでしょうか。

基本的にはマナーを守れているし、当たり前のことを当たり前にできるけど、ふとした瞬間に「マナーを守れない自分」が顔を出すのです。

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自分自身が簡易ポンチョをスタート地点に投げ捨てた人になる可能性が、ほとんどすべてのランナーにあるとしたら?

どこかのマラソン大会で大掛かりな私設エイドを出している団体がありました。
ランナーにとっては本当にありがたいことなのですが、その私設エイドにはごみ箱がありませんでした。

一般的な私設エイドで配られる飴も、走りながら食べると包装紙がじゃまになってその場に捨ててしまう人がいます。

どちらもごみ箱について思いつかなかっただけで、決して悪気があったわけではありません。
でも、こういうときにランナーの「マナーを守れない自分」が顔を出して、ポイ捨てをしてしまいます。

完璧な人間なんていません。
「マナーを守れない自分」の比率がそれぞれ差があるだけ。

ランナーは「マナーを守れない自分」を出来るだけ小さくし、運営側は「マナーを守れない自分」を 出させない配慮をする。
そうやってマナーは向上していくものだと、わたしは思います。

トップアスリートでなくても、いやトップアスリートでないからこそ「心技体」を大切にしてみませんか?

体と技だけを鍛えるのではなく、心を鍛えることを忘れない。
そんなランナーが増えて、それぞれが持つ「マナーを守れない自分」がどんどん小さくなれば、「ランニングっていいな」がもっともっと広がっていくような気がします。

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