ランナーは「走らせてもらっている」感覚を忘れてはいけない

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プロ野球の「円陣発声」に関する問題。昨日ようやく何を言っているのか知りました。プロ野球選手って高校球児から変わらないまま大人になったんですね。無邪気というか品格がないというか。

高校までずっと野球ばっかりの人生で、狭い世界で活きてきた人たちが更に狭い世界へと入っていく。でもそこは華やかな場所で、活躍次第では日本全国にその名前が注目される世界。

そこでも野球ばっかりの日々。社会人としてのルールのようなものを教えてくれる人は誰もいない。あるのは高校時代から変わらない体育会系の上下関係のみ。

そういう人たちに品行方正とか求めることが無理がありますし、彼らはほんの少しも「特別」じゃない。わたしたちと同じ人間。

どこの世界もそうですが、狭く閉ざされてしまった世界の常識は世間一般の非常識になることが多い。

もちろんわたしたち市民マラソンの世界も。

マラソン大会に行くと何万人もランナーが集まるし、毎週のようにフルマラソンが開催されているから、ランナーにとってこのマラソンという世界はとても大きく感じます。でも日本人全体で見たらランナーなんて限られた存在です。

フルマラソンを走ったことがある人なんて、10人に1人もいないかもしれません。

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古いデータでもうしわけないですが、2012年度に陸連公認コースのフルマラソンを完走した人は27万人でした。陸連公認コースでないものを含めても50万人には達しないでしょう。

1億2000万人中の50万人と考えて5%以下。フルマラソンは人生で1回走れば十分だという人が積み重なれば、フルマラソン完走経験者は100万人程度でしょうか。

10人に1人どころではないですね、100人に1人程度です。プロ野球よりは広い世界ですけど、ランナーの常識が世間一般の常識と一致していないこともいろいろあります。

常識にとらわれる必要はありませんが、自分たちの世界だけの常識によって他の人たちに迷惑をかけてはいけない。そういう感覚は忘れてはいけないかなと、わたしは思います。

狭い道をランニング中に向かいから人が来たら、スピードを落としてすれ違う。追い抜くときは声をかける。そこらへんに唾や痰を吐かない。

ランナーの聖地のようになっている皇居周辺では毎年何十件ものランナーに関する苦情が区役所に入るそうです。

人の振り見て我が振り直せ

ランナーだからといってランナーじゃない人よりも、人間として優れているわけではありません。昨日も少し書きましたが「走らせてもらっている」感覚を大切にしなくてはいけません。

媚びうる必要はありませんし、ランナーであることを恥じる必要もありません。ただみんなが使う道路で走っているのは圧倒的に少数派。歩いている人たちに迷惑をかけない。それぐらいの常識はあっていいと思います。

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