日曜日に開催された函館マラソンですが、昨日になって50歳代男子と70歳代男子の優勝者が規定コースを走ってなかったということが発覚して、優勝を取り消し失格になりました。
函館マラソンは昨年まではハーフマラソンの大会で、今年からフルマラソンの大会へと移行した記念すべき1回目の大会なのですが、思わぬところでケチが付いてしまいました。
函館マラソンは過去に25回のハーフマラソンの経験がるので、運営が未熟ということはありません。ただコース設定時の想像力が足りてなかった。それは今後改善されていくはずです。
- フルマラソン、ハーフマラソンの同時スタートをやめる
- ハーフマラソンの折り返しポイントをフルマラソンのコース外にする
- 完走タイムのチェックをするとき入賞者だけでも途中の通過を確認する
できること、やらなくてはいけないことはたくさんあります。ここでそれを問わなくても函館マラソンの大会事務局は何らかの対策をしてくるはずです。
マラソン大会はそうやってミスをしながらも成長していくものです。少なくとも大会事務局は「初めてのフルマラソンだから」と言い訳しないで、起きたことと真摯に向き合ってもらえればそれでいいかと思います。
逆に周りの人たちが函館マラソンの大会事務局に対して「初めてのフルマラソンだから」と広い心で見守ってあげられる。そんな関係があるといいですね。
じゃあコースをちゃんと走らなかったランナーが悪いのか?
50代で優勝したランナーさんは「体調不良だったので途中で折り返した」とのことで、完走メダルももらっていません。ズルする気なんてこれっぽっちもなかったんです。本人は失格のつもりだったのですから
勝手に折り返して走っていいと判断したことはどうかと思いますが、世の中にはそんな緩さが認められるマラソン大会がいくつもあります。過去の函館ハーフマラソンがそういう大会だったかどうかはわかりません。
とりあえず来年のパンフレットか参加要項に「リタイアのときは折り返さないこと」と書かれるぐらいでしょうか。
この50代の人にしてみれば、「途中のチェックポイントでの計測もないのになんで優勝になるの?」ぐらいの感覚だったのではないでしょうか。
ここまでは正直マラソンの面白話で済む話です。
問題は意図的にコースを離脱してショートカットをする人が世の中にはいるということです。函館マラソンを走った別に70代のランナーさんを責めるつもりもありませんが、彼は発着点以外の記録がないわけです。
なぜそれが可能なのかはわかりませんが、意図的にちゃんと走ることなくゴールに戻り、失格にならずに優勝しました。詳細を明らかにしていないということなので、推測でものを言わないようにしますが、とても興味深いケースです。
もちろん函館マラソンの大会事務局が途中経過をチェックしておけば、こんなことにはならなかったのが大前提です。
途中でチェックしているのだからズルする人はいないだろう。そんなふうに考えてしまったのかもしれませんが、マラソンランナーがみんな清く正しいわけではありません。
いやランナーだから清く正しくあるなんて根拠はどこにもありません、一般の人と同じでズルいことをする人もいれば、ちょっとぐらいいいだろうと、誘惑に負ける人もいます。
周りのランナーに対して暴言を吐く人もいます。24時間マラソンでは遅いランナーにわざとぶつかるようなランナーもいます。
これが現実。
もちろん本当に一握りの人のやったことです。函館マラソンのフルマラソン4000人中2名。意図的であったかなかったかは別としてたった2名だけが正規のコースを走らずにゴールしました。
いや、実際は失格の対象になる人はもう少しいるのかもしれません。優勝したからバレただけで入賞すらしていなければチェックもされないでしょうから。
さて、そんな清く正しくないランナーはどうすればいいのでしょうか?
弱い心に負けてルールを破った。今の日本はそういう人たちを立ち上がれなくなるまで徹底して叩きます。反省してやり直すということがなかなか認められにくい状況にあります。
そして反省は口だけで、まったく反省していない人も世の中にいます。
正直なところ、他人の評価が重視されるからこんなことになるんだと思います。わかりやすい感じでいえば、優勝すれば周りの人が注目してほめてくれる。
そのタイムがまったく自分の思い通りのタイムでなくても、周りはそんなこと気にしません。
でもマラソンにかぎらず、自分の行動においては周りの評価なんて本当はどうでもいいはずなんです。自分が納得できるのか。自分自身の中でそれだけを評価基準に出来るかどうか。
そしてそのような評価ができるように教育していくこと。
もっとも教育する人が周りの目ばかり気にする人だから何も期待することはできませんが。学校の試験で良い点数をとることだけがほめられます。
本人が手を抜いて取った100点も、死にものぐるいで取った100点も同じ評価。
周りの評価なんてなんの価値もない、それぐらい激しいことを言ってもいいんじゃないかと、わたしは思います。少なくとも、わたしはそうやって生きています。
誰かにほめられても、自分が納得できなければ意味がない。
そういう考え方がもっと重視されるような世の中になると、面白い時代になるのになと思いながらも、そんな人ばかりだと息苦しいかとも思います。
函館マラソンでの今回の件は、大会事務局も規定通り走らなかったランナーも問題はあるのかもしれませんが、じゃあ自分は大丈夫か?誰かの評価に一喜一憂していないか?そう自分に問うてみてください。
正解はいつだって自分の中にあるものです。
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