「敗北のない競技 僕の見たサイクルロードレース」という本を、以前ラン仲間に教えてもらいました。この本を読んでから、わたしの中でドーピングに対する考え方が大きく広がっていきました。
この夏の課題図書にあげたいほどランナーにはぜひ読んでもらいたい1冊です。
「敗北のない競技 僕の見たサイクルロードレース」はロードレーサーの土井雪広さんが、プロの自転車乗りとしてヨーロッパのサイクルロードレースで体験したこと、感じたことについて書かれています。
その中で赤裸々になっていくサイクルロードレース内での薬物に関する話。
彼は、薬物に対して日本人はピュアすぎて、薬物に対する思考の免疫がなさすぎることを何度も指摘しています。
禁止薬物、禁止されていない薬物も含め、欧州のサイクルロードレースの世界では薬物を使わないと絶対に勝てない世界になっていて、勝てない選手は当然契約を続行してもらえないわけです。
薬を飲むのはチームの方針で、それにNOと言うこともチームからの離脱を意味し、ほかのどのチームもそんな選手を欲しがりません。
サイクルロードレースが特別な世界なんだと思いますか?
プロスポーツ界では薬物が当たり前に使われている事実
1994年から1998年までイタリアのプロサッカー、セリエAで圧倒的な強さを誇ったユベントスですが、その背景には薬物の使用、しかもドーピングの対象になる薬物があったことを記憶している人はどれだけいるでしょうか。
ユベントスは家宅捜索を受け、練習場からは241種類もの薬物が発見されました。
それらの薬のほとんどは合法な薬物でしたが、薬は本来の使い方ではなく「ビタミン剤」だと選手に説明し、試合前に整脈注射されていました。
結局その事件が長い時間をかけ、法的にもうやむやにされましたが、イタリアサッカー界ではACミランが「薬物を一切使わない」ことを公言し、他のチームもそれに追随する形になっています。
そしてヨーロッパで圧倒的な強さを誇ったセリエAの各チームは栄枯盛衰。ヨーロッパの中で輝きを放てなくなってしまいました。本田圭佑さんのいるACミランは見るも無残な状態になっています。
すべてが薬物の影響ではありませんが、多くの選手がセリエAへの移籍を望まないのは「薬を使えないリーグ」という認識からくるものではないかと、わたしは考えています。
このサッカー界の話はユベントスだけの問題ではなく、ヨーロッパのプロスポーツ界では現実として薬があたりまえのように使われていて、薬を使わないのは精神的にもアマチュアとされています。
もちろんアメリカのプロスポーツも同じです。いや「同じでした」と言うべきでしょうか。大リーグのドーピング問題はまだ記憶に新しいかと思います。現在大リーグでは薬物検査を強化していますが、その結果MLBにおける本塁打の数が激減しています。
薬物に対する認識が甘かった2000年の平均本塁打数は1試合当たり1.17本で、サミー・ソーサとマグワイアの年間60本を超えるホームラン争いはいまだ鮮明な記憶として残っています。
その1試合あたりの本塁打数が0.87まで降下しているのはMLBファンの間では有名な話です。
オリンピックとアマチュアリズム
現在ほど複雑ではなかったものの、オリンピックが始まった1896年にはすでに、スポーツで生計を立てているプロのアスリートたちがいました。
オリンピックの創始者であるピエール・ド・クーベルタンは「オリンピックの出場者は、スポーツによる金銭的な報酬を受けるべきではない」としてプロの選手をオリンピックから排除しました。
これは金銭的な面だけが取りあえげられていますが、その背景にはプロスポーツ選手は「勝つためなら何でも行う人たち」で陸上競技中に相手を怪我させたり恐怖心を与えるようなことがあたりまえに行われていました。
そしてもちろん薬物も。ドーピングの歴史はオリンピックの歴史よりも古く、1865年のアムステルダム運が水泳競技から始まったと言われています。
プロのアスリートは勝つことが生きることでしたし、勝つためなら何でもしますから、当然薬物も使用します。クーベルタンが本当に排除したかったのは、報酬を受け取る競技者ではなく「薬を使って不正に勝つ競技者」でした。
純粋に己の体だけで高みを目指す。それがオリンピックの基本的な精神です。
オリンピックはずっと長い間アマチュアリズムを貫いてきました。1974年にオリンピック憲章からアマチュア規制が削除されたあとも、アマチュアであることにこだわってきました。
ところがオリンピックは興行化を進めていく過程で、どうしてもプロ選手を迎え入れなくてはいけなくなります。プロ選手のいないオリンピックのサッカーなんて誰も見向きもしてくれません。他のスポーツもしかり。
オリンピックにプロスポーツを迎え入れたものの、プロスポーツ選手は時代が変わっても薬物にどっぷり浸かっていますから、オリンピックが華やかになる一方でオリンピックは薬物と向き合わなくてはいけなくなったわけです。
スポーツ大国アメリカの方向転換
大リーグが薬物に対して真剣に取り組んでいるように、現在アメリカではアンチ・ドーピング、アンチ薬物の流れが生まれています。
あたりまえですが、薬物を使わなくなると記録は低下します。様々な競技でアメリカが勝てなくなります。現在の陸上の世界記録のうちアメリカ人が記録したものは52種目中男子で7種目、女子で5種目。そのうち2000年以降の記録は男女ともに2種目だけです。
アメリカに限らず投擲系の世界記録はのきなみ1986年、1990年以降世界記録が生まれていません(やり投げは途中で規格変更あり)。
薬と決別を決めたアメリカですが、ロンドンオリンピックでは圧倒的な金メダル数でしたが、世界では以前の圧倒的な強さは鳴りを潜めています。
ただそこで終わらないのがアメリカです。「俺たちは薬物と縁を切ったんだから、お前らも縁を切れよ」という主張を始めたのが、今回のロシアやケニアのドーピング騒動に直接的、もしくは間接的に影響を与えています。
アメリカはフェアであることを大切にする国です。これまでは薬物にまみれていた歴史があっても「フェアじゃないよね」ということが表立つと、薬物に嫌悪感を示すようになるわけです。
そして「俺たちは薬物と縁を切ったんだから、お前らも縁を切れよ」となる。アメリカは相変わらず世界のジャイアンなわけです。
薬物に関して知っておいてもらいたいこと
長々と書きましたが、わたしが伝えたいのはプロスポーツの間で禁止薬物・禁止されていない薬物の境なく、薬を使うことは日常で、みんなが注目しているヨーロッパのサッカー界ですら薬物があたりまえだという事実。
日本人は薬物が即ダーティで議論することすらタブーとされていますが、薬物を嫌うあまり薬物の存在に対する免疫力があまりにも低すぎるような気がします。
サッカーの日本代表チームがW杯でなかなか結果が出ないことに対して、技術力だの経験だので片付けてしまいますが、そこに薬物の差はないのかという議論は一切されません。
タブーにしすぎて、薬物の存在なんて頭の片隅にもないわけです。
それはそれで悪いことだとは思いませんし、日本人はこれからも薬とは縁のない世界でスポーツを推進して行ければいいとは思いますが、ピュアすぎるのもどうかとは思います。
少なくともスポーツの世界は「禁止されていない薬物」なしでは考えられないという事実は、知っておいてもらいたいなとは思います。
そのうえでそれぞれの考えがあると議論が面白くなります。「薬はダメ!」そのとおりだと思います。でも現実を知りながらダメだというのと、ただの嫌悪感からダメだというのでは議論がまったくかみ合いません。
ですので、みんなが楽しんでいるプロスポーツの世界はこうなっているよということを知ってもらうために長々と書きましたが、今回はさすがに長々と書きすぎました。
めったにこんなこと言いませんが「最後まで読んでくれて、ありがとうございます」
ここから先はそれぞれが考える世界。これを読んでみんながどう感じるのか、どう考えるのかちょっと楽しみにしています。
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