トレランに山は怒っている?薄れてきた山岳信仰への危機感

082e5a2e8e311f4fea988b6c59a473d5 m

facebookでラン仲間が「富士山が怒っているんじゃないの?」というような投稿をしていて、なるほどなと妙にしっくりきたような腑に落ちるような感覚がありました。

UTMF(ULTRA-TRAIL Mt.FUJI)の短縮、そして静岡から富士山まで走るSTYの途中中止。前日までの天気予報なら曇だった天気が一転しての土砂降りです。

山の天気は変わりやすいといいますが、山はいつも何か大きな意志によって動いているのではないかと思わずにいられなくなるときがあります。

山を走っていると、山がたくさん話しかけてくるのを感じることがありますし、暖かく見守ってくれるような感覚になることもあります。困ったことにときどき嫌がらせもしてきます。

ただそれは人間との対話とは違う、もっと心の内側で行っている対話になります。

それがあるからわたしは山を走りますし、それを感じられないからトレランの大会には出ません。トレランの大会には1度しか出ていませんし、会場に行ったことがあるのも数回です。

少ない回数ながら共通しているのは、トレランの大会をすると山の神様がいなくなるということ。いつもは山の神様の敷地内を走っている感覚になるのに、トレランの大会になると、誰もいない空地を走っているような感覚になります。

90036d7c87872a22ae8bdba38a858bc8 m

別にトレランの大会が悪いと言っているわけではありませんし、トレイルランナーを否定するつもりもありません。ただわたしはそう感じるということです。

トレランもそろそろ方向性をきちんと定めなくてはいけない時期になってきてるんじゃないかな。「富士山が怒っているんじゃないの?」の言葉とその思いがリンクします。

数年前、トレイルランナーのマナーの悪さが問題になりましたが、いまだに登山者にぶつかっても、何も言わずにそのまま先に行ってしまうトレイルランナーがいるようです。

一部のマナーの悪い人なのは分かっていますが、もうそろそろ「一部のマナーの悪い人」では済まされないような気がします。マナーの啓蒙活動ができていない結果ですし、山の神様の堪忍袋の緒が切れてもおかしくはありません。

その被害がUTMFやSTYなのだというとただのこじ付けでしかありませんし、まっすぐな気持ちでUTMFとSTYに向き合っていた人に失礼ないのも理解しています。

でも「自分はちゃんとしているから、マナーが悪い人たちのことなんてどうもいいし自分には関係ない」という考え方も許されなくなるような状態になっています。

57a64e313ee39a4c8c57a46df17a794b m

トレランや登山は自然を壊す。そういう考え方もあるのですが、それに関しては違和感を抱いています。

自然を壊したからこそそこに道があるわけで、そこを人が歩かなければ道は道ではなくなってしまいます。そして山の自然は守らなくてはいけないけど、わたしたちの日常にある自然は破壊してもいい?

わたしたちの身の周りにいったいどれだけの自然が残っているのでしょう。

もちろんだから自然を好き放題に破壊してもいいといいことにはなりませんが、自然を破壊という言葉を使っている人は、自然の力を侮っているのではないでしょうか。

自然は破壊されているのではなく、その環境に適応しているだけです。必要なら削られるし、泥沼のようにもなります。自然は痛いと言うこともありません。ただあるべき形になり、それを人間が勝手に騒いでいるだけのこと。

山が怒っているのはそんなことではなく、山に対するリスペクトの気持ちがなくなってしまっていることじゃないかとわたしは感じています。

山に抱かれるように走るあの感覚。「遠方はるばるからよくやってきた」と迎えてくれるあの感覚。何年も行けていなかった山が「おかえり」と囁いてくれるあの感覚。

わたし以外の人も同じように感じているのかどうかはわかりませんので、そんな感覚なんて、もともと持っていなかったのかもしれません。

その場合はリスペクトの気持ちがなくなったではなく、山をリスペクトしない人が山に増えてきたということでしょうか。

0360bad8492709878b0346880d2ba7d8 m

山岳信仰はずっと日本に根づいてきたものでしたが、いつのまにやら忘れ去られた存在となっています。

こういうことを書くと急に宗教っぽくなってしまいますが、山は神様が住むところであって、人間が自由に出入りするような場所ではない。

ものすごく非科学的な考え方ですが、そんな非科学的な考え方も何千年も続いてきたわけですから、無視していいものではないようにも感じます。

UTMFやSTYが短縮や中止になったのは、ある面では運が悪かったと思います。

でも本当に運が悪かっただけなのか?その思考を止めてしまうと、きっとこれからも同じことを繰り返すだけです。それはUTMFやSTYだけではなく、すべてのトレイルの大会に言えることです。

別に山を神様のように敬えなんてこと言うつもりもありませんが、先祖が代々そうやってきたことを忘れて、好きなように駆け回っていいかというと、それは少し違うかなという気はします。

何千mもの山を駆け抜けてきた人にしてみればバカバカしい話かもしれませんし、神も仏も信じていないというわたしが言うのも滑稽な話に思えるかもしれません。

021032db600c103f0e9fcf2f00d22687 m

UTMFもSTYもハセツネも他の大会もこれからも続いて欲しい大会ですが、やっぱり自分が山を舞台としたレースに出ることはないのでしょう。

山が大好きで、隙あらば大山やその麓を走っていますが、少なくとも日本の山は競い合う場所としては適していない気がします。

少なくともトレランの大会をするときに、その山の神社を詣でるくらいのことはしてもらいたいところ。言うまでもなくそんなことは前からやっている大会も多く、UTMFもまさかしていない訳はないとは思いますが。

山岳信仰の気持ちが薄れてきたこと。マナーの悪いトレイルランナーがいっこうに減らないこと。まったく無関係ではない、わたしはそう思っています。


山岳信仰 – 日本文化の根底を探る
著者:鈴木 正崇
楽天ブックス:山岳信仰 [ 鈴木正崇 ]

スポンサーリンク

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次