明の時代に作られた万里の長城の最も西に位置するのが嘉峪関。明は漢民族最期の王朝。
中国の歴史は漢民族とその周辺の民族の侵略と支配の歴史でもありる。モンゴル民族の元から中原を取り戻した明は、その後、満州民族の清に取って代わられる。この何百年の歴史は、学校の授業では数十秒に短縮されて紹介されている。
宋から元、元から明、明から清、ただの記号として覚えさせられた記憶。そこに生きる人の日々の生活は見えてこない。
嘉峪関の駅に到着したのは当初の予定よりも2時間遅れ。
それでもこの日はこの旅で唯一のホテル泊。ということは撮影の時間が十分に確保できるわけだ’。十分に確保できるがゆえに、もちろんこの日も大変なことになる。良い意味でも悪い意味でも。
まずはホテルにチェックイン。予約されていたのは、わたしがこれまで中国で泊まったことのあるどのホテルよりもきれいなホテル。細かなところまで清掃が行き届いて、それはもう日本のホテルのような快適さ。
インターネット回線が少し遅いことと、回線が少し不安定なことが不満なくらい。
そもそも嘉峪関の街そのものが、どことなく清潔感がある。
レストランもきれいで、ここもまた他の中国とは違って見えてくる。他の人の旅行記などを見ても「ホテルの室内がすごくきれい」という記事が見つかるので、やはりこの街は何かが決定的に違うのかもしれない。
ただ、多くの人が勘違いしているが、中国人は意外ときれい好きだ。意外とというと失礼かもしれないが、わたしたちが思っている以上にきれい好きだ。
北京から烏魯木斉までの電車では、若いクルーが通路やトイレをこまめに掃除して、常にきれいな状態を保っていた。北京の街だって数年前とは比べ物にならないくらいきれいな街になっている。
そんな中国でも嘉峪関の清潔感はちょっと飛び抜けている。
タクシーを1日チャーターして、最初に向かったのはもちろん嘉峪関。圧倒的な美しさを誇る「天下第一雄関」並ぶものがないほど雄大な関所。
ところが、最初の撮影場所にも関わらず、すでに時間がない。2時間遅れというのもあるのだが、1日撮影に使えるため、わたしたちはこのあと中国でもっとも美しい場所を目指すことになっている。
せっかくの嘉峪関だったが、滞在時間は実質1時間くらいだろうか。嘉峪関の東側で少し撮影をして、すぐに撤退することになった。
いずれまたゆっくりくればいい。
いや、必ずここには戻ってくるはずだ。万里の長城マラソンはいま壮大な計画が進行中で、まだ詳しくは話せないが、いずれこの嘉峪関も走る可能性がある。万里の長城マラソンランナーとして、きっとわたしはここに戻ってくるだろう。
嘉峪関をあとにしてわたしたちが向かったのは「砂漠」だ。わたしは砂漠へ行くとだけ告げられて、タクシーに乗り込んだ。
1時間で着くからと言われたが2時間経過してもまだ目的地はたどり着かない。日も傾けかけた19時30分になって、タクシーはようやく中国でもっとも美しい場所「砂漠」に到着する。
この景色を表現するだけの言葉をわたしは知らない。この美しさを写真におさめられない自分の未熟さが悔しい。
紀元前111年、前漢第七代皇帝である武帝の時代に築かれた城が、原形を留めることなく、大きな石群としてただそこにある。
自然界のものではない建築物が、長い歴史を経て自然界の一部として取り込まれた姿からは、中国の歴史、いや地球の歴史を感じずにはいられない。
この景色を見たことのある日本人は一体どれくらいいるのだろう。中国人ですらその存在を知らない特別な場所。
東古城遺跡
Googleで検索することすらできない。そんな忘れ去られた古城がわたしたちを待ち構えていた。
2000年以上前、かつてここで暮らしていた人たちがいる。そしてどういうわけか、わたしは1人の日本人としてこの地に立っている。わたしの父や母がいて、そのまた父や母がいて、いったいどれだけ遡れば、この地が栄えていた時代に戻れるのだろう。
わたしがここにいること、それは奇跡としか言いようがないが、ある意味ではそれは運命なのかもしれない。
わたしが中国を好きになったのも、万里の長城マラソンの仕事をしているのも、すべてここに導かれるための運命。眺めているだけで胸が熱くなる。
「いつかここでマラソンのイベントをしたい」
朱さんがそう言った。
こんなに美しい景色の中を走ったらどんな気分なのだろう。いつまでも走り続けてゴールなんて来ないで欲しいと思うかもしれない。すべてを出し尽くしたあと、この砂漠で夕焼けを見たら、わたしは泣いてしまうだろうか。
もしわたしたちそれぞれに約束の場所があるとすれば、わたしにとっての約束の場所はここに違いない。
昂ぶる想いを抑えつつ、東古城遺跡で撮影を進め、そして最後に砂漠での撮影を行う。目に映るすべてのものを輝かせながら大陸に沈んでいく太陽。
ここまで来てよかった。そう思いながら柔らかなベットで眠りにつけたらよかったのだが、ホテルに戻って溜まったメールの整理をして、終わらせるべき仕事をしていたらすでに1時30分。翌朝の起床は6時だそうだ。
せっかくのホテルのベッドだったが、どうせ昂ぶったままでは寝ることもできなかっただろう。限界まで淡々と仕事を片付け、わたしはそのまま倒れるように眠りについた。
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