14時11分西安発北京西駅行。これに乗ると北京に戻ってしまう。
旅の終わりはいつだってセンチメンタルになる。もっと旅を続けたいという思いと、消耗した自分を早く回復させたい思いが交差して複雑な気持ちになるが、終わりがあるからこそわたしたちはそれを旅と呼ぶ。
終わりなき旅は旅ではない。少なくとも私の中では。
北京までは6人掛けのボックス席の横3列に、謝菲、わたし、朱さんの順で座ったのだが、謝菲の表情からは不機嫌さが伝わってくる。まさか本当に寝台車ではないとは思わなかったのだろう。
彼女クラスなら当然飛行機で移動する距離だ。
足の長い彼女は窮屈そうに窓側の席に座っている。足の短いわたしでも姿勢を良くして座らなければ、向かいの席の人の足にぶつかってしまう。
ちなみに長時間椅子に座る場合は、できるだけきれいな姿勢で座っている方が疲れない。だらしなく座るとそれだけ腰に負担がかかって余計につらくなる。そして謝菲は割と早い段階から腰が痛そうになっている。
その横でわたしは朱さんの中国語講座を受けているのだが、たまに朱さんが謝菲に話を振ると、とても嫌そうな態度になる。
朱さんが言うに90年代生まれの中国人「90后」の特徴らしく、この世代はいらだちを隠さなかったり、きつい言い方や雰囲気を出す傾向にあるらしい。
90后は新しことに前向きでありながらも、周囲に目をくばるようなことはせず、自分が一番偉いと考えているのだとか。そんな世代のエリートだから、余計に周りに合わすというようなことを彼女はしない。
日本でもサッカーの中田英寿が出てきたときはそんな感じがあり、中田英寿以降のサッカー界は上下関係を嫌う若手が増えてきた。
わたしも上下関係なんてなくなってしまえばいいと思っているが、年上をリスペクトする気持ちはなくしてはいけないと思う。いや年上だけではなく、すべての人をリスペクトする気持ちを持てないのなら、まだ上下関係のある社会のほうがましではないかと思う。
わたしはフラットな関係を好むが、フラットな関係とは決して同列にいることではない。どんな相手でも、その相手から学ぶ気持ちがなければフラットな関係というのは成立しない。
それでも、電車内での言い方がさすがにまずいと感じたのか、初めて謝菲が夕食の食堂についてきた。これまで外で食べるときは一緒だったが、電車での食事はいつも断られていたのを考えると、彼女にしても思うところがあったのだろう。
そして、その夜わたしたちははじめて、お互いのことを少しだけ深く知ることになる。
撮影は残すところあと1日。もっと早く多くのコミュニケーションを取れたらよかったのだが、それを言っても後の祭り。むしろあと1日だからこそ、お互いに距離が縮まったのかもしれない。
もっとも話したことは謝菲の理想の男性や、将来像などの他愛のない話題。なんであなたは結婚しないのかと聞かれたので「結婚はしたくても1人ではできないって知ってる?」と返したら、真面目な顔で彼女が言った。
「まだ大切な人に出会ってないのね」
ピュアだな・・・わたしはそのピュアさをどこに置き忘れてきたのだろう。そしてわたしの大切な人はどこにいるのだろうか。
北京西駅に到着したのは5時42分。
北京まで戻ってくると気分的には完全にホームで、旅は半分終わったようなものだ。北京はここ数年、東京以外でわたしが一番多く訪れている街。目をつぶっては歩けないが、肩の力を抜いて歩ける街だ。
朝食を終えて向かったのは居庸関長城。2016年秋の大会の開催場所だ。ただし、ここでも撮影時間は1時間ちょっとしかない。わたしの帰国の時間を考えるとそれほど長い時間滞在することはできない。
1年前のPV撮影でわたしたちはここを訪れている。そのため十分な写真と動画が手元にあるので、幾つかの場所のでこれまでと同じように撮影をして終わり。
無事2017年用のPV撮影がここで完了した。
さくっと書いてしまったが、個人的にはここで撮った写真が一番美しいような気がする。万里の長城という被写体はわたしにとっては慣れ親しんだもので、謝菲ともほんの少しだけ距離が縮まったことで彼女の内側を少しだけ上手に撮ることができたような気がする。
ちなみにわたしはすでに万里の長城に慣れすぎていて、万里の長城を見ただけでは感動しなくなるというとんでもない不治の病気にかかっている。
万里の長城マラソンには6回出場し、PV撮影もこれで3回目。どんだけ万里の長城が好きなんだと言われそうだが、美人は3日で飽きるではないが、万里の長城も見慣れるとその感動は薄れてしまう。
もちろん嫌いなわけではない。万里の長城マラソンをもっともっと多くの人に知ってもらいたい。そして何よりも、1人でも多くの人に中国を訪れて欲しい。そのきっかけが万里の長城マラソンだといいなという思いがわたしにはある。
わたしの夢は、当たり前のように中国人に日本人の友だちがいて、当たり前のように日本人に中国人の友だちがいる時代を作ること。でかい夢だが、人生かけて万里の長城マラソンを成功させれば自然と結果はついてくる。
わたしは万里の長城マラソンを走ったことで人生が変わってしまった。万里の長城マラソンを走るまではただの市民ランナーに過ぎなかったのに、あれから5年が経過しすべてが変わってしまった。
いまでは中国にも台湾にも友だちがいる。
同じことを他の人ができるわけではないのだろうが、他の人にだって同じことが起こる可能性がある。万里の長城マラソンは人と人とを繋げるマラソンなのだ。
今回の旅は100%大成功とは言えないし、足りないことや失敗もいっぱいあった。わたしがもっと中国語を話せれば、うまくいくこともあったんだろうなとは思う。
でもうまくいかないからこその出会いや、助けてくれる中国人に出会えたわけで、正直このまま中国語が話せないままのほうがいいんじゃないかとすら思っている。
中国語を話せない日本人が一生懸命何かやっている。そんな姿に中国人が親しみを感じてくれるなら、なんでもかんでもうまくやれるよりも足りない部分を中国人に埋めてもらうほうが結果的にはうまくいく。
それは中国語を勉強しないための言い訳でしかないが。
少なくともこの旅でわたしが失ったものはなにもない。7日間仕事をほとんどしなかったことで、今月はもう1日も仕事を休めなくなったくらいで、あとは両手に抱えきれないくらいの経験という大きなおみやげを抱えての帰国となった。
最後の最後になって、定刻通りに飛行機が飛ばないというオチもちゃんと待っていた。待合室で海南航空のスタッフがお弁当を配り始めたときは本気で帰国できないかと焦ったが、3時間遅れで無事北京空港を飛び立つこととなった。
再見中国!
残念ながら感情の昂ぶりはない。40日後、中国に戻ってくるのだから。世界一厳しいフルマラソンをまた自分の足で駆け抜けるために。
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