不変:時代が変わっても変わらないもの

世間ではシン・山の神というネーミングがバズっていますが、私にとっての山の神は、何がどう転んでも八百万の神で、脚が速いというだけで「神」と呼ぶのはどういう了見なのか、ずっと疑問に感じてきました。彼らへのリスペクトはありますが、彼らは「神」ではなく「人」です。

そして、私は別に山の神に対して絶対的な存在というか、信仰心を持っているわけでもありません。ただ山に入ったときの話し相手のようなもので、その会話を楽しむために山に入っているところもあります。別に込み入ったことを話すわけではありませんが。

山の神とは別に、大木に宿る八百万の神も好きだったりします。大きければ何でもいいというのではなく、どうも相性があるようで、対話してみたくなる木というものがあります。それはあまり多くはなく、これまでに数本程度しか出会ったことはないのですが、先日近所の里山に入ったときに見つけてしまいました。


いや、これまでに何度も視界に入っていたはずなのですが、その存在を認識したのは初めてのこと。夕暮れどきだったので、ゆっくり向き合うことはしませんでしたが、次に行くときにはしっかり挨拶をしてこようと思います。八百万の神は挨拶に厳しいので。

シン・山の神の映像をXで少しだけ見たのですが、これまでの山の神とは明らかに違った力強さがあり、それが余計に人間らしさを感じてしまいました。過去の山の神たちは、そこが坂道でないかのようにスイスイと駆け上がっていましたが、シン・山の神は力いっぱい地面を蹴って重力に抗っていました。

だからこそ、凄みを感じました。あの力の入れ方で20km近くを走り続けるというのは、とても人間の領域でできることではありません。でも現実としてやっていたわけで、そういうことを感じることが他のスポーツも含めて増えてきました。

高校サッカーのハイライトを見ていたら、とても高校生とは思えない身体能力と判断力が備わっており、今の高校選手権レベルなら、発足当初のJリーグよりもレベルが高いかもしれません。実際に多くの高校生が卒業後数年で欧州リーグでプレーしています。

他のスポーツでも若手が世界トップレベルにある競技も増えています。もう完全に時代が違うんだなと感じずにはいられません。少子化とかさまざまな教育問題とかありますが、伸びている若者は多く、それぞれが個性を発揮できる環境がある。これは本当に素晴らしいことです。

今の若い世代の文化などはほとんどわかりませんが、はっきりしているのは私たちの時代よりも可能性が広がっているということ。夢や希望はあったけど、それは限られた世界の中のこと。人生の選択肢は限られていましたし、みんなと同じであることを求められた時代だったのは間違いありません。


だから、学生時代に戻りたいかと言われたら、即答で「NO」と答えます。何度繰り返しても、結局のところ現状以上の結果にはならないような気がするから。ただ、今の時代の若者としてやり直したいかと聞かれても、答えはやはり「NO」で変わりません。

未来は開けているかもしれませんが、同時にいとも簡単にその未来が閉ざされる時代。しかも未来を掴むために私たちの時代よりも多くのものを削ぎ落とさなくてはいけないわけで、今の時代だからこその苦労があります。結局なところ、自分の時代をよいものにできるかどうかは自分次第なわけです。

もちろん変わらないものもあります。それは何事にも真摯に真面目に取り組んでいくことが、唯一の正解だということです。楽して有名になる。楽して大金を手に入れる。そんなものはどの時代も偽物であり、いずれ必ず破綻します。何かを掴みたいなら全力で取り組むしかありません。

イラスト:天野 勢津子, 著:Haruta Yato
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