
東京マラソン前になると忙しくなるのはわかっていましたが、いま自分が何をしているのかわからなくなりそうなくらいいろいろなことを抱えています。なぜそんなことになったのか。半蔵門線ランをしているときに気づきました。
そういえば小網神社を参拝したくらいから流れが変わったなと。それも1回目よりも2回目が効いている感覚。今回の半蔵門線ランでも参拝するつもりが、丙午ということで参拝客の大行列。遠くで手を合わせるだけしかできませんでした。
東京にはいくつかのパワースポットがあり、私にとっては明治神宮と将門塚、そして小網神社がすぐに思いつく特別な場所です。別にスピリチュアルに興味があるわけではなく、少なくともそこに行くと心が反応するように感じるだけです。
それぞれ反応の仕方は異なり、明治神宮は気持ちが落ち着き、将門塚は胸の奥がザラつきます。そして小網神社は「無」になれます。いつも何かを抱えている私ですが、小網神社に行くと、無心になれるので頭の切り替えができる気がします。
ただ、いずれの場所も頻繁に訪れるわけではありません。明治神宮に至っては、境内に入るのは数年に1度。UberEatsの配達をしていたときは、明治神宮の近くということで原宿を拠点にしていましたが、今はイベントでもないと近くまで行くことはほとんどありません。
そして小網神社。それこそ東京を街ランでもしない限り訪れることはありません。でも近くまで行ったら挨拶はしておきたくなります。ここは明治神宮のように、近くにいるだけで満たされるということはなく、無になるためにはかなり近づかなくてはいけません。

もちろん、すべて私の頭の中でのことで、それぞれをどう感じるかは人によって異なります。何も感じない人の方が多いはずです。私だって縁があって存在を認識していますが、知らなければ素通りしていたでしょうから。知っていないと感じないなら、それはもうただの妄想でしかありません。
それでも、やはり小網神社には何かあるような気がします。本当に小網神社を知ってから、すべてがいい方向に向かっています。それも一気に変わるというのではなく、ゆっくりと方向を変えられている感覚。だから永久を受けていると気づかなかったわけです。
具体的には物欲がかなり薄くなりました。帳簿をつけていて気づいたのですが、2回目の参拝以降、Amazonでも楽天市場でもほとんど買い物をしていません。楽天で電子書籍を購入したくらいしか買い物履歴がありません。あとはどうしても必要なものだけ。
1日1つ手放す生活の影響もありますが、何かを買うということがほとんどなく、それでいて買いたくなることもありません。それは「満たされている」わけで、50年生きてきた中で、そういう感覚になるのは初めてのこと。モノを手に入れたくなるのは、それを使った記事を書きたいときだけ。
それがいいことなのかどうかはわかりません。欲は人間の原動力であり、それがないということは推進力の低下を今するのかもしれませんし、何よりも日本経済にとってまったく意味のない存在になることを意味します。だから、物欲が薄いということはただの自己満足でしかありません。
ただ変化は他の部分でも起きており、RUNNING STREET 365が忙しくなったのも間違いなくそのタイミング。忙しくなるから出会ったのか、出会ったから忙しくなったのかはわかりませんが、それは導きがあったことにしています。そうだとしたら、この先にもっと素晴らしい未来が待っているということなので。
