才能:持って生まれたものと築き上げていくもの

マラソンのタイムに才能は影響するのか。これはとても難しいテーマのひとつです。たとえば私はマラソン大会では上位10%くらいに入る走力があります。全盛期は5%くらいに入れていました。それは才能だろうと言われると否定はできません。

自慢するようなことではないのに自慢のようになるので、あまり話したことがないのですが、私は中学生時代に学年で1番速いランナーでした。正確には「1番になったことがある」なのですが、体育の授業で学校の外周を走るテストがあったのですが、そこで1番のタイムを出しています。

その頃は体の線も細くて、所属していたハンドボール部では補欠。とても運動ができそうなタイプには見えない体つきをしていましたが、その軽さが活きたのでしょう。長距離だけは自信がありました。その日のことは今でもしっかり覚えています。


そういう過去があるから、才能でタイムが決まるというのは否定できません。もっとも、そのあと高校に進学して陸上部に入るかサッカー部に入るか迷ったときに、体育の1500m走で圧倒的な差をつけられての2位だったことで自信を失い、サッカー部を選んだのですが。

それこそ、才能の差というのを突きつけられたわけですが、速い人は若い頃から速いわけです。運動能力の50%以上は遺伝で決まると言われています(もっと高かったような記憶)。私は平均以上の運動能力を授かりましたが、圧倒的な才能ではなかったわけです。

だから、それぞれが目指せるタイムには限界があると思っています。ただ、どこまで人生を賭けるのかという要素も加わるので、才能を持った人に才能がない人が勝つことはあります。練習しなければどんな才能も原石のままであり、その辺の石ころと変わりません。

そして何よりも、少なくとも一般のランナーにとって大事なのは、他の誰かよりも速くなることではなく、過去の自分を超えていくということです。成長したいから練習をするわけで、そこに才能は関係ありません(継続できるという才能は影響しますが)。

また、マラソンにおいては才能と努力だけでは超えられない壁があります。それは「走り方」で、まず多くの人は走り方を知りません。それは九九を習わず掛け算をするようなもので、どれだけ努力してもフルマラソン完走やサブで5くらいが目標になります。

ここを超えていくのに、ランニングを習う必要があります(過去に運動経験があるなら必須ではありませんが)。そして、それをサポートするのがトレーナーなわけです。私もその1人ですが、先日取材で神野大地さんの教え方を近くで見る機会がありました。


そのときの彼は動きを改善して、フォームを無理のないものに導くスタイルを取っていました。「ここが弱いから、こういう動きを毎日やって改善しよう」というもの。なるほどなと思ったのは、そのスタイルでないとレッスンが継続されないということ。

地道に体を作ってフォームを変えるので、変化を感じられるまで何度もレッスンを受けることになります。それに対して私は形そのものを教えます。形を教えるだけではその動きができないので、何を意識するかを伝えるのですが、この方法だとすぐに走れるようになります。

当然、2回目の依頼はありません。その代わり「膝の痛みがなくなりました!」「自己ベストを大幅に更新しました」の声はたくさんもらいます。どちらがいいかという話ではなく、教え方もビジネスも才能であり、学びが大事だなと。もっとも自分のスタイルを変えるつもりはありませんが。

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