
モノを減らして部屋がすっきりしたのに、その部屋で電子書籍端末をなくしました。探しても出てこないので、何かと一緒に捨ててしまったのかもしれません。とりあえずスマホで読むことができるので困っていませんが、何かのタイミングで新しい端末を買わなくてはいけません。
歳を重ねるともっと本を読むようになるのかなと思ったのですが、自宅から図書館まで遠いこともあって、読書量が減っています。以前は入浴タイムが読者タイムだったこともあったのですが、最近はそこまで夢中になって読書することもなくなりました。
とはいえ北方謙三さんの水滸伝シリーズの最新作、チンギス紀は完全にハマっていて、移動中の読書はほぼチンギス紀しか読んでいません。文庫本が1ヶ月に1冊出ているので、何とか1ヶ月持たせるようにしているのですが、移動が多い時期には数日で読み終えてしまいます。
そんな水滸伝シリーズの原点、水滸伝がドラマ化するということで、さっそくlinemoに加入しました。来年のW杯もlinemoが配信するそうなので、そこまでは加入しておこうかなと。linemoに中国ドラマがあるなら、Netflixを解約するかもしれませんが。
サブスクにいろいろ入っている状態ですが、そもそも動画を見る時間もそれほど多いわけではありません。インプットが極端に少なく、それでよくライターをしているなと思うのですが、私はアウトプットするのにインプットに頼らないタイプなので今のところ何とかなっています。
インプットに頼らないといっても、ゼロなわけではありません。こういうブログを書くときには、インプットしたものがとっかかりになることはあります。ただ書き始めてしまえは、あとはオートで書き上げていくので、インプットは関係なくなります。

もちろんオートにできるのは過去のインプットがあったからで、無から何かを生み出しているわけではありません。とはいえ過去のインプットも自分の中でしっかり噛み砕いて自分のものにしているので、やはりインプットそのものは「きっかけ」にすぎません。
たとえば中国について語るとき、現在の日中関係悪化によるあれこれも、語るためのきっかけになるだけで、あとは自分の体験や得た知識が溢れ出てくるので、私はその中から最適なものを選ぶだけ。それゆえに寝不足のときなどは文章が散らかってしまうのですが。
私の場合、文章を書くためのインプットは映画や小説、アートなどではなく、基本的に「経験」をベースにしているところがあります。世の中がどうだとか、何が流行っているだとかをアウトプットにすることは少なく、自分の体験したこと、感じたことを言葉にする。
もちろん、経験したことをそのまま文章にするのではなく、そこで感じたこと、考えたことを自分の血肉にして文章にするので、たとえば今日のブログもどこで経験したことを元に書いているのかはわかりません。すべての経験が入り混じってもいますし。
それだけ書けるなら、いつも書きたいモードなのでは?と思われるかもしれませんが、書きたくてウズウズするなんて経験はこれまで1度もありません。「今すぐ書かなくては」と衝動に駆られて書いた文章はいくつかありますが、いつでも書きたいモードなわけではありません。
基本的に思想を持っているわけでもありませんし、クラゲのように浮いて流されながら生きているので、書く必要があるときだけ、オートモードで書き綴る。それが自分だけなのか他のライターも同じなのかは知りませんし興味もありません。ときどき思うことはあります。私は何者なのだろうかと。
