滅私:組織に属するときの個性のあり方について

SNSの投稿を見ていると、仲間内でコミュニケーションを取っているのを見かけます。SNSというのはそういうものだから、それ自体は特別なものでもなく、ある意味では日常風景です。会っていないときも繋がれるSNSは現代ならではのコミュニケーションだなと。

ただ、そこでの会話が全世界に公開されているという意識が抜けていることがよくあり、それはよろしくないなと感じることも珍しくありません。元々の投稿では周りに配慮していたのに、親しい人のコメントで本音が漏れてしまい、がっかりすることもあります。

がっかりするのは私の勝手なのでどうでもいいことですが、SNSというのは電車の中で大声で会話しているようなもので、やり取りは周りから見られているという意識を持つこと、そしてそういう教育をすることが大事なんだなと感じることが増えました。


ただ、新しいサービス、新しい手法というのはアドバイスをしたり、教育をしたりする人がいません。その自由さが人気の理由でもあるので、正しく導いてくれる人がいないというのは現代人に共通する課題のひとつなのかなとは思います。

こういうときに「私の時代は」というと、煙たがられる世代になってしまいましたが、私は厳しい教育、厳しい指導というのは大切だと考えています。時代に逆行していることは理解しているので誰かにそれを強要することはありませんか、優しく育てるというのは限界があります。

もちろんパワハラのようなものを認めているわけでもありません。力で押さえ込むという話ではなく、ダメなものはダメだと伝えることが大切だという話です。多様化が認められる時代になり、個性を発揮しやすくなりましたが、たとえば会社の場合は、まず組織ありきになります。

組織の成果が最大化するために個性を発揮するのはありですが、個性を発揮した結果、組織の成果が縮小してはいけません。当たり前と思うかもしれませんが、実際には組織の成果よりも個性を優先させるべきだと考える人は間違いなく増えています。

個性を優先して何が悪いと思うかもしれませんが、少なくとも仕事の場合、それで上手くいくことはまずありません。ビジネスで成功するには上下関係を明確しにて、指揮命令系統を整えなくてはいけません。誰の責任で誰がどう動くのかを明確にする。

その軸はどうしたって必要で、そのうえで和気藹々とするのはもちろんありです。軸を守ることを前提として個性を発揮するのもありです。でも、個性を守るために軸が崩れてしまったら、その組織はそう遠くないうちに崩壊します。


プロスポーツの強豪チームが急に勝てなくなったりすることがよくありますが、そういう場合の多くは組織の軸が失われています。たった1人のわがままからチームが崩壊する。そういうケースをこれまで何度も見てきました。軸となっていた選手が抜けた途端に弱くなるというケースも。

最近、さまざまなチームスポーツで日本人が重宝されていますが、その最大の理由は選手の個性なのかもしれませんが、大前提に「チームのために尽くす」意識を持っていることがあるのではないかと感じています。その意識がチームに広まり、チーム全体が強くなる。

ただ、そういう選手は個性も強く、そういう一面ばかりが取り上げられるので、多くの人は「個性が大事」となりがちです。むしろ反骨精神があるタイプがもてはやされる。でも世の中で本当に必要なのは組織のために動ける人。滅私の心を持てるかどうかなのだと私は信じています。

著:ハリー・スタック・サリヴァン, その他:阿部大樹
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