
SNSで学生のいじめ動画が立て続けに投稿され、「あまりにもひどい」と社会問題になりつつありますが、なにを寝ぼけたことを言っているのだろうというのが私の正直な感想。そんなものは太古の昔からあり、今に始まったことではありません。
もちろん、私の時代にもいじめはあり、言うまでもありませんが、今回発覚しているのは氷山の一角でしかありません。暴力によるいじめは、ほとんどの学校で数年に1度は発生し、精神的ないじめは各クラスに日常的に存在すると言っても過言ではありません。
なぜ断言できるのかというと、それが人間の本能だからです。大人は理性という目に見えない枠の中で生きるように教育されているので、本能はある程度抑えられますが、学生はまだそれができません。だから優劣を付けたがりますし、猿山のボスになりたがります。
これまでも言ってきたことですが、いじめをなくすには、それが発覚した時点で未成年であろうと極刑に処すか、日本国民としての全ての権利を剥奪するように法律を変えるくらいのことをしないとなくなりません。いじめをするデメリットを最大化して、どう考えても見合わない状況を作るわけです。
それが正しいかどうかという話ではなく、それしかないという話です。それは流石に……というなら、大人が力で抑えるしかありません。でも、どちらも世の中の流れからすると現実的ではありません。どんな理由があっても暴力は許されない風潮になっているので。
力というのは絶対的なもので、他人を押さえつけることができます。それが嫌なら、相手よりも強い力を得るしかありません。それはパワーバランスの基本であり、個人だけでなく国がそれを行なっています。国を守るなら他の国よりも強い軍事力を持つ必要がある。

それが現実ですが、国防において「力」の存在を認めているのに、個人において「力」の行使が認められないというのは明らかなダブルスタンダードです。もちろん、国に外交という切り札があるのと同じで、個人においても「力」がすべてではありません。
相手が手を出せない圧倒的な何かを持っていれば、それを抑止力にすることは可能です。でも、それを学生に求めるのは無理です。彼らはまだ何者でもないのですから。だから、いじめに対してできることは、圧倒的なデメリットを用意することしかありません。
ではそれでいじめがなくなるかというと、そんなわけはありません。今回動画が出回ったことがきっかけで、さまざまな問題が絡みに出ましたが、これはいじめの現場を撮影しないという方法で簡単に蓋をすることができます。証拠を残さなければいいわけです。
そして、それはもうすでに日常的に見えないところで行われています。むしろ、動画に残しているケースのほうがレアで、「無視」などの精神的ないじめであれば、目に見える傷すら残りません。今回の件により、いじめはより見えないもの、陰湿なものになります。
人間の本能がそうさせることであり、誰もが心にそれを抱えている以上、完全になくすことはできません。それでいいのかと問われると、「いいわけがない」と答えますが、正しい出口を指し示すこともできません。そんなものはどこにもありませんので。
ただ、いじめの存在を認めるということから始めるべきだとは思います。そこに必ずあるものという前提で対策を検討する。「あってはならない」ではなくて「常にそこにある」。それを認めない限り、「いじめダメ」の言葉は虚しく響くだけ。
