肋骨:次々にやってくるトラブルたち

歯が欠けて「骨が弱っているかも」なんて話をした直後(ちなみに欠けたのは歯ではなく被せ物だったようです)、今度は肋骨をやらかしたかもしれません。万里の長城マラソン仲間と花見をして、酔っ払って帰ってきたので、どのタイミングで傷めたのかはまったくわかりません。ただ、寝て起きたらかなりの痛み。

最初は脇腹を傷めたのかなと思っていたのですが、どうもあやしいのは右の肋骨。そういえば骨に入ったときの痛みに近いものがあります。どこかにぶつけた記憶がなく、ただ風邪気味で何度もくしゃみをしていたのが影響したのかもしれません。

とりあえず、今日から毎日シラスを食べるとします。あとはプロテインを注文しておきます。そんなにすぐに体は変化しないでしょうが、なんとかして骨が脆くなるのを止めなくてはいけません。そのためにできることはすべてやります。


花見は学生時代に暮らしていたマンション近くでの開催でしたので、久しぶりにそのマンションの前まで行ってみました。「こんなに小さかったっけ?」というのが最初に受けた印象。そしていくつかの思い出が蘇ってきましたが、懐かしいという感情にはそれほどならず。

本当に寝るためだけの場所という感覚で、学生時代はサッカーとバイトだけの日々でしたので、建物に思い入れはないのかもしれません。その証拠に、暮らしていたのが何号室だったのかすら思い出せません。元々記憶力は壊滅的なのですが。

マンションに向かう途中で、かつて何度も歩いた道を通りましたが、胸にくるようなものはまったくなく。当時働いていたセブンイレブンがなくなっていることと、マンションの隣にあったボーリング場が巨大なマンションになっていたのはショックでしたが。

あれから30年近く経つのですから、変化していて当然ではあります。もちろん、当時から残っているものもありますし、変わらずそこで暮らしている人もいるはずです。でも、何も変わらず残っているものなど、ひとつもないわけです。

同じように見えても、どこか変化している。変わらないものなど、この世界にはありません。では私はどうなのでしょう。あの頃からどこか変わったところがあるのか。何かを失って、何かを得たりしたのか。これはとても難しい質問です。

年齢を重ねて見た目も経験値も変化していますが、自分の本質というところは、実はそこまで変わってないのではないかと。変わっているつもりでいるだけで、ほとんど成長していない。別にそれで困ることはないのですが、当然のように老化は進んでいるわけで。


ここの不一致が大きな問題のようにも感じます。気持ちだけ20歳で体は50歳。その不一致が自分の中でバランスを崩している。だとすれば、本質的な部分も変えるための努力か必要なのかもしれません。何を変えればいいのかはまったくわかりませんが。

たとえば同年代は、もう子どもが成人していたりするわけで、私には子育ての経験もなければ、家族以外の誰かと暮らすという経験もありません。もし、それが私が変化しない要因だとすれば、変化しない自分を受け入れなくてはいけません。

でも、年齢に見合った心の変化、思考の変化が他のことで得られるなら、やってみる価値はあります。でもそれは、海外で暮らすとか、ペットと暮らすとか、そういう表面的なことではないはずです。だから今の私がすべきなのは、私自身に変化をもたらす何かを探すことなのかもしれません。

著:ニール・バルジライ, 著:トニ・ロビーノ, 翻訳:牛原 眞弓
¥2,156 (2026/03/30 18:27時点 | Amazon調べ)
\最大10%ポイントアップ!/
Amazon
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次