成長曲線:遠回りだから見つかるものもある

6月からすでに暑かった日本列島ですが、数日前から本格的な夏がやってきた感じがあります。気温が高いだけでは私にとって「夏」ではないようで、日差しの強さとか空気感とか、さまざまな要素が入り混じって、「夏」と判断しているのかもしれません。

夏は好きな季節のひとつです(嫌いな季節などありませんが)。ここまで気温が上がると、さすがに困りますが、少なくとも私が社会人になったくらいまでは、夏に対するワクワク感がありました。決して何かが起きるわけではありませんが。

夏は人間が開放的になるというメディアの刷り込みがあったからかもしれません。夏を舞台にしたアニメやドラマ、映画なんかもあって、私の世代くらいだと、夏は爽やかで透明感が溢れている印象を持っている人がほとんどではないでしょうか。


おそらく今の若い世代にとって、夏にワクワクするというのはないのかもしれません。もちろん夏休みという大きなイベントがあり、非日常がそこにはあります。そういう意味では特別なのでしょうが、ここまで気温が高いと外に出るどころではないはずです。

私にとっての学生時代の夏休みといえば、そのほとんどが部活のための時間でした。夏は毎日しっかり練習できるので、スキルアップさせるのに重要な期間になります。暑さの中で練習することすら、体力アップや精神力アップに繋がっていた気がします。

実際には暑さの中で練習することに意味はないのかもしれませんが、サッカーはメンタルのスポーツでもあるので「ここまでやれた」という経験は多くの場合、プラスに作用します。ただ、こういう経験がスポ根にも繋がっていて、よろしくないなとは感じています。

ひたむきに努力すれば結果がついてくる。苦しんだだけ強くなれる。それは間違いではありませんが、効率的ではなく、むしろ成長という面で考えると、マイナス面のほうが大きいかもしれません。本当に大事なのは基礎をしっかり作ることなのに、気合と根性で乗り切ろうとする。

ランナーもそういう一面があります。とにかくたくさん走れば速くなる。それも間違いではありませんが、「走る」を理解していないと、効率の悪い走り方が身についてしまいますし、暑さの中を走っても体力を消耗するだけで、リカバリーが遅れてしまいます。

なんでも効率ばかり考えるべきではないのかもしれませんが、「全力で取り組む」と「最大の効果を得る」は必ずしも一致しません。むしろ、全力を出すが故に効果が下がることもある。そこをきちんと理解できるかどうか。何をするにしても重要なポイントになります。


個人的には遠回りこそ人生だと思っているところもあるため、かつてがむしゃらにやってきたことが無駄だったとは思いません。ただ、今のスタンスを学生時代に取れていたら、また違った人生だったのかもしれないと思うことはあります。

サッカーもランニングも独学。自分で試行錯誤していたから成長が遅れて、目指すところに到達できなかった。だからこそパーソナルトレーニングを始めて、1人でも多くの人に私のような非効率な成長曲線を描かせないようにサポートしたいという思いがあります。

少なくとも走る楽しさを味わえるようになってもらいたいところ。走ってすぐ膝が痛くなるとか、そういう避けられるトラブルからランナーを守る。それも、散々遠回りしてきた私に与えられた役割だと考えています。ただ手取り足取りではなく、多少は試行錯誤の余地は残しますけどね。

著:有川 真由美
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