
学生時代だったか、社会人になってからだったは覚えていませんが、「ビートたけしのTVタックル」をよく視聴していました。社会には、さまざまな角度、さまざまな立場からの視点があるということを学んだテレビ番組だったように記憶しています。
現在でも放送されているようですが、テレビがないのもあってもう視聴していませんが、先日何かのタイミングで田嶋陽子さんが討論している動画を見て、そんなことを思い出しました。田嶋陽子さんだけでなく、とにかく個性的な面子で、それぞれが今も現役で活躍されています。
私が見た動画の中で、田嶋陽子さんは30年前と同じように「日本では女性が虐げられている」というニュアンスの主張をされており、相変わらずだと思いつつ、だとしたらこの人は30年間何をしていたのかという疑問が頭に浮かびました。
先に伝えておきますが、別に田嶋陽子さんを批判したいわけではありません。ただ、私の認識では女性の立場を改善するために活動されている方であり、そのために尽力を尽くしているのだとばかり思っていました。でも、彼女の主張からすると30年間何も変わっていないということになります。
おそらく、彼女にそうなのかと聞いても「何も変わっていない」と答えるでしょう。だからこそ疑問に感じるわけです。考えられるのは、彼女の影響力では何も変えられないくらい日本という国が硬直している。もしくは彼女のはその役を演じているだけ。
自分のポジションを確立するために、実際に変わっているかどうかは関係なく、ただ女性が虐げられていると主張し続けているだけ。そんなことをあるのかと思うかもしれませんが、仮に完全な平等社会ができれば、彼女は存在意義を失うわけです。

だったら、世の中は変わっていないと主張したほうがいい。繰り返しますが、私は田嶋陽子さんを貶めたいわけではありません。伝えたいのは、このようなことは世の中に幾つでもあるということ。当たり前のようにあちこちで起きている話です。
私の中にもそういう一面があります。いや、誰にでもあるはずです。過去の主張を守るために現状を見て見ぬふりをする。そして私たちは「老害」と呼ばれる存在になっていく。その主張が強ければ強いほど、いずれ煙たがれる存在になってしまいます。
そうならないためには思考を柔軟にする必要があります。時には過去の自分を否定する必要もあり、それはとても苦しいことでもあります。だから私たちはなかなか変われないし、変化することを避けたがるわけです。もちろん、変わらない強さというものもありますが。
私も頑ななところがあるので、いずれ煙たがれる存在になるはずです。それを回避しようとも思いませんが、できることなら柔軟に自分の色を変えていきたい。いつでも時代の変化に乗っていき、自分を最新の状態にアップデートし続ける。
ランニングでもライティングでも同じ。常識がどんどん上書きされていく時代だからこそ、時には過去と真逆の言動を選ばなくてはいけなくなることもあります。そういうときに躊躇することなく踏み出せる自分でありたいところです。
もっとも今のところ好奇心が消える気配もなく、思考はいつでもフル回転。そして何よりも忘れるのが得意という強みがあるので、それを最大限に活かして、自分を変化させていこうと思います。昨日の自分よりも今日の自分のほうが優れている。そう言い続けられるように。
