多数決の結果が必ずしも正しいとは限らない:民主主義の限界

久喜マラソンのフルマラソン化に向けた動きの中で、クラウドファンディングの達成率が7%だったことを受けて、川内優輝さんが「反対」の声を上げていたそうです。反対か賛成か、開催すべきかどうかについては個人的には興味はありません。

私が興味を示したのは、川内優輝さんがクラウドファンディングの達成率が7%だったことで「反対」としているということです。彼の言わんとすることはわかります。みんなが望んでいないフルマラソンの大会を立ち上げることに大義はありませんので。

でも、それだけが反対の理由なら「本当にそれでいいのだろうか?」と思うわけです。「みんなが賛成しているわけではないから」というのは多数決の理屈で、多数決で票が多いほうが正しいとは限らないことは、多くの人が知っていること。

民主主義はこの多数決により何度も間違った選択をしてきました。100人の投票があり、99人が賛成で1人が反対だった場合、賛成多数となるわけですが、1人が言っていることが正しかったことは、これまで歴史が何度も証明しています。

別に民主主義を批判しているわけではなく、民主主義や多数決というのはその場の雰囲気などで変わってしまうものであり、正解を導くものではありません。だから久喜マラソンのフルマラソン化については自分なりにフルマラソン化する未来としない未来を想定して、天秤にかけて反対か賛成かを決めるのがあるべき姿。

10年後20年後に「開催してよかった」となるかどうか。そしてそこに向けて自分に何ができるかを考える。成功する未来に対してアイデアを考えて、それでも論理的に成り立たないとなったら「反対」というのが筋かなと。

保身のために一応書いておきますが、川内優輝さんの批判をしているわけでもありません。これを読んでいる人が決断を迫られたときに「みんなが選んでいるから」みたいな理由で、賛成や反対を選ばないでもらいたいというだけの話です。

上手くいくかどうかなんてやってみないとわかりません。何をするにしてもまず上手くいくことを前提にする。そして、そのために何をすべきかを考えに考える。寝ていても考えるくらい、ずっと考えればやれることは必ず出てきます。

伊豆高原の宿の経営が成立するように何をすべきか、ここ数日はそればかり考えていました。何もしなければ確実に経営が成り立たなくなるのは明らかで、だからといって諦めるのも違う。自分がこの問題に関わっているということは、自分にできることがあると私の場合は考えるわけです。

そして出てきた答えが、伊豆高原の観光情報サイトの立ち上げです。RUNNING STREET 365での実績もあるので、そこそこ上手くいくはずです。ただ、このブログにはサラッと結論だけを書きましたが、これもかなり悩みました。

みんなが無理だというもの、みんなが反対するもの。その先に成功があると私はいつもそう信じています。大衆はいつだって間違うものですから。もちろん、大多数がどちらを向いているのかを知るのは大事なことですが、それが正解だなんて1ミリも思わないことです。

自分なりに考えて、自分なら上手くやれると思うなら、みんなが反対しても自分が信じた道を進む。たった1回の人生なのに、「みんなが……」なんて選び方をするのはもったいない。面白おかしく生きたいなら、いつだって基準は自分でありたいものです。

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