誰でもフルマラソンにエントリーできる現状はこのままでもいいのか

マラソン大会には1年間でそれなりの数、現地に足を運んでいます。自分で走ることもあれば、取材するだけということもあるのですが、どちらの場合もトップから後方のランナーまで、ずっと見ているということがあまりできません。

ところが一昨日開催されたかすみがうらマラソンでは、コースのショートカットがしやすく、30km地点では上位のランナーからサブ4.5レベルという、比較的幅広くランナーの走りを見ることが出来ました。そこで感じたのは「練習不足」のランナーが多いこと。

30km過ぎの疲労が出てくる場所というのもありますが、しっかり練習してきた人と練習が足りていない人の差は歴然。4月の大会というのもあって、2〜3月にフルマラソンを走って、1ヶ月の休養明けという人がいたのも影響しているかもしれません。


練習不足というのは失速しているかどうかではなく、どちらかというとランニングフォームに現れます。なのでサブ3でも練習不足だと感じる人もいますし、サブ4.5でも練習を積んできたことが伝わってくる人もいます。ただ、傾向として後方のランナーほど練習不足を感じます。

ただ練習不足を責めたいのではなく、そういう状態でもスタートラインに立ててしまう現状は本当に正しいのかなと思ってしまいました。フルマラソンというのは私たちが思っている以上に過酷な運動です。基本的には全然が命を削って走っています。

フルマラソンを1回走るごとに寿命がどんどん短くなる。それがフルマラソンです。長生きするだけが人生ではありませんので、それを自分の判断で選ぶことは全然構わないと思うのですが、そういう競技を自治体などが主体となって、誰でもエントリーできるのって本質的にどうなんだろうかと疑問に感じたという話。


3〜10kmくらいの市民マラソンには存在意義があります。市民の健康促進に役立ち、病院に行く人が減れば医療費も削減できるわけです。でもフルマラソンはそうではありません。あらゆるスポーツが、練習でやってきたことを本番で出し切るようにできています。

でもマラソンは基本的に練習でやってきたこと以上のことを本番で出します。フルマラソンを走るのに練習で毎日42.195kmを走るのは現実的ではありません(少なくとも現代の常識では)。だからフルマラソンはどれくらいの練習があれば練習不足とならないのかが不明確です。

たとえばゴルフなら、少なくともボールをまっすぐ飛ばせるようにならないとコースに出るようなことはありません。でもフルマラソンは42.195kmを無理なく走れない状態でも、参加費さえ払えばスタートラインに立てます。これって本当にあるべき姿なのでしょうか。


こういうことを書くと「じゃあ十分な練習時間を確保できない人は、フルマラソンを走っちゃダメなの?」みたいなことを言ってくる人もいますが、それを決めるのは本人なので、その人が選んだことにとやかく言うつもりもありません。でも親しい人に相談されたら「やめといたほうがいい」と答えます。

まず、これほど負荷が高い競技に誰でもエントリーできることに疑問を持っています。でも、そうしないといけない理由もわかります。練習をしっかり積める人だけの競技になったら、1大会の参加者数は10%くらいになります。そんなマラソン大会は商業的にも成立しません。

そう考えるとマラソン大会というのは、その存在自体に矛盾を抱えているのかもしれません。ただ、私がはっきり言えるのは、隙あらば走るようにして、練習はしっかり積んだほうがいいということ。そのために走れるカラダづくりをすることから逃げない。そして自分の走力に見合った走りをするくらいでしょうか。

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