フルマラソンが定員割れし続けていることについて:マラソン大会の存在意義

今年の京都マラソンで2次募集があって、マラソン人気はそこまで落ちたかと思ったのですが、時間が解決するだろうという気もしていました。ところが、今シーズンも集客で苦戦している大会が多く、おきなわマラソンは12月10日までエントリーを延長。とくしまマラソンも定員割れで延長しています。

こうなってくるとマラソン大会の設計から見直す必要が出てきます。それぞれの大会が、これまでと同じ規模で続けられるのかを見直して、そして独自色をどうやって出していくかを考える。ある意味、最も面白い部分なのですが、当事者はそれどころではないのかもしれません。

ただ、定員割れを改善するのはそこまで難しいことだとは思っていません。ランナーが望んでいる大会、走りたくなる大会にすればいいだけのことで、それをきちんとイメージできれば、あとはあるべき姿に向けて動くだけなのですが、自治体が絡んでいるとなかなかそうはいきません。

かなりの低評価だった大会があるのですが、少しだけ絡んでいたこともあって、大会直後に「すぐに失敗点をレポートにして改善方針とともに公開するといい」アドバイスをしたのですが、自治体の上の人がNGを出したとのこと。

私は窮地に陥ったときこそチャンスだと思っています。大きな失敗をして評価を下げたときに大事なのは、すぐにリカバリーするということ。そうすることでマイナス分をプラスに変えることができます。でも保守的な人たちにはそれができません。

自治体の動きの悪さが、マラソンの定員割れの原因のひとつであるというのが私の持論。自治体のトップが走るマラソン大会は常に高い評価を得ているのは、自治体の動きが早いから。トップが先頭を引っ張るから、自然と良い大会になります。

ただ、そろそろマラソン大会とは何なのかを議論してもいいような気もします。マラソンブームの頃に筍のように誕生したマラソン大会の多くは地域活性化を目的としており、経済効果により税収アップも期待できるなど、複合的な視点でプラスになると考えてスタートしています。

でも、アフターコロナは以前ほど人の動きが活発ではありません。「みんなで何かをする」機会が2〜3年も失われていたわけで、多くのランナーの思考としては「マラソン大会はなくてもいいか」となっています。ランナーにとってマラソン大会の存在意義がコロナ禍前後で違うわけです。

それをベースにマラソン大会のあり方を再構築しないと、かつてのような活気が戻ってくることはありません。どうすれば「走ってみたい」となるのか。そこの議論をしないまま、以前と同じ方法で集客しようとしても、それは無理があります。

集客するためにゲストランナーを招くとか、そんなことをやっている大会は間違いなく廃れていきます。ゲストランナーを招くことが悪いわけではありませんが、招いたことで費用対効果がどれくらいあったのか、きちんと分析までしている大会でなければ、ランナーの求めているものを提供できず、ランナーは離れていきます。

ちなみに多くのマラソン大会にとって参考になりそうなのは「オホーツク網走マラソン」です。2023年は定員割れしているかと思いますが、あの大会はランナーにとっての「走りたい」が詰まっていて、大会を運営する上で学ぶことがたくさんあります。

きっと他にも素晴らしい大会もあるのでしょうが、惰性で開催しているようならいずれ止まってしまいます。そうなるかどうかは運営の情熱次第。いい大会になるかどうかは、どれだけ熱を持って運営できるかで決まります。もちろんそれだけで集客できるわけではありませんが、ベースにそれがあることが定員割れを回避するための大前提になります。

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