過保護:大迫傑選手の提案が炎上したことについて

プロランナーの大迫傑選手が、さいたまマラソンの中止を受けて、当日中にフルマラソンの距離を走った人にプレゼントするとSNSに投稿して炎上していました。雪道を走るのは危険てあり、立場上それを促すべきではないとのこと。

私は面白いなと思ってRUNNING STREET 365のXアカウントですぐに引用リツイートしましたが、そのタイミングではこの投稿だけだと「危険だ」という反対意見が出てくるなと思ったので、安全を意識して参加しようと注意喚起の文章を乗せましたが1ミリも後方支援にならず(なんという影響力の低さ……)。

もっとも、注意喚起の文章を書きながら「これは蛇足だな」という感覚もありました。雪だから気をつけて走りましょうなんて、そんなこと言われなくたってわかりきったことです。私が注意喚起するようなことでもありません。ただ、蛇足であってもするのがRUNNING STREET 365の役割なんだろうなと。


雪でマラソン大会が中止になったコンディションで、42.195km走ろうという人は、安全な場所を選び、無理のない範囲で走るということなんて理解しています。百歩譲って理解してなかったとしても、それでケガをしたとしても自分の責任とするはずです。

その場合、ケガの要因を作ったのは確かに大迫選手なのですが、それを言い出すとマラソン大会なんて開催不可能になります。マラソン大会では1年に数名、レース中に亡くなられる方がいます。レース中に亡くなった方の遺族が「マラソン大会なんて開催するから」と裁判を起こしたりするでしょうか?

マラソン大会で接触して転倒。擦り傷ができたとして「マラソン大会なんて開催するから」と言うでしょうか。私たちランナーは走らされているわけではなく、自分で走ることを選んでいます。大迫選手は場を作っただけで、チャレンジするかどうかは自分次第。

RUNNING STREET 365のXアカウントで注意喚起を躊躇したのは、どこか偉そうな文章になってしまうからというのもあります。どうしたって小さな子どもに言い聞かせるような文章になるので、どう考えても失礼な感じに受け取られそうだったので。

そして、それは過保護すぎるのではないかと感じたわけです。同じことを大迫選手を批判する内容の投稿をした人にも感じました。上から目線で、そしてランナーを過保護にしている。ランナーに上も下もないのに。

そもそも私たちは失敗を繰り返して成長するものです。過保護にして失敗から守ってしまうと、そのランナーは成長しません。雪道は危ないから走らないように促すことで、そのランナーがケガするリスクを取り除けます。でも、それって本当にそのランナーのためになるのか。


世の中は同じようなことで溢れていて、過保護な社会が出来上がっています。過保護社会ではあらゆる挑戦が批判され、安全圏でだけ生きていくことになる。それって楽しい?ランナーを過保護にする人たち(ランナー以外でも)に聞いてみたい。

でも本質のとことで、彼らは過保護にしたいわけじゃない。ただ正義のようなものを振り回して承認欲求に飲み込まれているだけのような気がします。そういう意味で彼らも被害者なのかもしれません。SNSなんてものがあるから、誰かを批判して承認欲求を満たしてしまう。

こういうことが起きるたびに私は思うのです。日本語の美しさが消えていくと。なぜみんなSNSで自分だけの正義を振り回すのでしょう。その想いは誰かを批判する以外のもっと違った形で表現できないのか。SNSがもう少しだけ優しい世界になるといいのですが。ただ、ここで私が何かするとそれも過保護になるので、ただ見守るだけですが。

編集:学研辞典編集部
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