
中国語の勉強のために中国ドラマを見ているのですが、日本で見られるものは歴史ドラマか恋愛ドラマが多く、歴史ドラマはストーリーの展開が早すぎてついていけなくなるので、もっぱら恋愛ドラマを見ています。恋愛ドラマは日常会話も多く含まれますし。
最近の日本のドラマ事情はまったく知りませんが、中国ドラマも続きが見たくなるようなストーリーになっていて、演技も引き込まれるものが多く、勉強とはいえ日々の楽しみにもなっています。また、内容も魅力的ですが、文化の違いが見えてくるのもドラマの面白さです。
その中でも気になったのが、高校時代の恋愛についてで、どのドラマを見ても高校時代は恋愛禁止という描かれ方をしています。10年前なら分からなくもないのですが、最新のドラマでも学生時代のシーンでは「恋愛関係にある」として親が呼び出されたりしていました。
さすがにドラマだからかなと思って、北京に行ったときに現地の大学生に聞いてみたところ、今でも変わらずそうだということです。むしろ、高校は進学のためにひたすら勉強をするところで、恋愛なんかしている場合ではないという認識でした。
反対に日本の高校生の恋愛事情について聞かれて、ありのままを伝えたところ、驚かれてしまいました。お互いにカルチャーショックだったわけですが、こういうところが異文化コミュニケーションの面白いところでもあります。まったく想像しない斜め上の文化があるわけです。
ただ、日本だって50年前には「不純異性交遊」という言葉が一般的に使われており、行き過ぎた恋愛に対する社会の厳しい目がありました。実際に恋愛禁止の学校もあったはずです。文化の違いだけでなく、時代の違いというのもあるのでしょう。

もしかしたら中国だって50年後には、高校生の恋愛が自由化しているかもしれません。それが良いことかどうかは私には分かりませんが、その変化を自分の目で見ていきたいなとは思います。恋愛というものは規制できるものなのか、それともなし崩し的に規制が消えるものなのか。
豊かさは人間をダメにする。それは間違いない事実であり、私自身気をつけなくてはいけないことだと感じています。なんでも手に入る時代になると、何も欲しがらなくなる。手に入らないから手に入れたくなって努力する。それが人間という生き物です。
そして今の日本は豊かさが薄れたとはいえ、基本的にはなんでも揃っていて、何不自由なく暮らせる国になっています。若者の◯◯離れみたいなことが定期的に話題に上がりますが、欲がなくなるのは当然のこと。「いま手に入れなければ」という危機感がなければ購買意欲は上がりません。
恋愛も同じで、いつでもできるという思考が少しでもあると、他のやりたいことを選んでしまうわけです。私の場合は楽しいことがしたいという欲に全振りしたのもありますが、「いつでもできる」感がなかったわけでもありません。その結果が少子化に繋がるわけです。
何が正しいかなんて、後になってみないとわかりませんが、私は必ずしも自由の先に希望があるとは思いません。理不尽なことが世の中からなくなったら、理不尽なことに向き合うという経験ができなくなります。その結果、社会として良くない方向に向かうこともあります。
違う国の文化に触れるということは、自分たちの常識が必ずしも正しいものとは限らないと気づかせてくれるきっかけになります。そういう意味で中国に出会えたのは私にとっての大きな幸運なのかもしれません。残念なのはその先に中国人との恋愛が待ってなかったことくらいでしょうか。
