
日曜日こ自宅作業をした後、18時くらいから走るつもりでしたが3kmも走らずに終了。前日の土曜日にいたっては、着替えて外に出たのにそのままスーパーまで歩いていくだけ。土曜日はとても走れる疲労感ではなかったのですが、日曜日はそこそこ体力も回復してきました。
1年前だと何がなんでも走りに行っていましたが、人間は1年で変わるものです。もうランナーとは言えないくらい通勤ラン以外していませんが、アルバイトが運動みたいなものなので、体は絞れていますし、筋力もそこまで落ちてはいません。
もう少し走るべきだとは思っていますし、愛媛マラソンに向けてトレーニングしなきゃとは感じていますが、暑さもあって優先順位は低め。それに反比例してRUNNING STREET 365も北京旅人もアクセス数が増えているので、その代償と考えれば悪くありません。
RUNNING STREET 365は3.6万PVになっていて、シーズンオフだと考えれば悪くない数字です。今の運営の仕方であれば1月くらいには5万PVくらいはいくかもしれません。北京旅人もアクセスが増えるであろうニーズのある記事を書いたので、2つ合わせて10万PVも夢ではありません。
何かを得るには何かを手放さなくてはいけない。これはとても重要なことで、20代の頃から私は言い続けていることでもあります。サイト運営をうまくやるためにランニングの時間を手放す。これはもう仕方のないこと。時間は有限なのですが。
ただ、失ったものを補うことはできます。トレーニング時間を失いましたが、運動量という意味ではアルバイトで十分に補ています。むしろオーバーワークなくらいで、毎日走っていた頃よりも体力はあるかもしれません。通勤時間もブログを書いたり、勉強したりできます。

昨日のブログでバイクを検討していると書きましたが、バイクで移動するようになると、移動中の作業時間がなくなります。これが良いことなのか悪いことなのかは、よく考えなくてはいけません、交通費の出費は減るけど時間が失われるわけです。
すべてを手に入れることはできない。それはどれだけお金を持っていても同じで、人間が生きている間にできることには限りがあります。最大限に努力したところで、できることが2倍になることもありません。むしろ、無理な努力は必ずリバウンドします。
これからの10年で自分に何ができるのか。どんな可能性が残されているのか。それはまだ手探りしている状態ですが、はっきりしているのはランニングの時間を削って良かったということ。走るのは好きですが、ランナーだけで終わる人生にはしたくありません。
フルマラソンくらいなら準備なしで走れる。60歳までの10年間はそれくらいの走力を維持できればOK。あわよくば愛媛マラソンのためにサブ3.5を維持したいところですが、それだって永遠にできることではありません。そこにしがみつくために時間をかけるよりは、これからの10年のために時間を使いたい。
自分に特別な才能があるならともかく、そうでないなら自分のリソースをすべてやりたいことできることに注いでいく。そして少なくともいま注ぐのはマラソンではないということ。そして最近ずっと言っている「生活をコンパクトにすること」です。
そこまでして結果が出ない可能性だってあります。でも、それはそれでいいのかなと。妥協しているのではなく、人生というのはそういうものなのかと。上手くいく人生は他の誰かの役割で、私に与えられたのは報われないけど積み重ね続けるという役割。私はその役割を全うするだけのことです。
