個性:創造の種を黒歴史として潰してしまう人たち

17時過ぎ、新宿行きの快速急行に乗車したところ、車内がキンキンに冷やされていました。日中の気温が少し高かったことが影響していますが、もう少し節電の意識を持ってもいいのではないかとも思います。そろそろAIが自動で温度調整する仕組みが導入されても良さそうなものですが。

実は「エアコンが寒い」という感覚はこの日に限ったことでなく、10月に入ってからさまざまな場所で感じています。このため、薄手の上着を常に持ち歩いているのですが、こうなってくると、自分の感覚だけがどこかおかしいのではないかとも思い始めてしまいます。

感覚というのは本当に個人差が大きく、たとえば私に見えている赤色が、他に人に見えている赤色とは必ずしも同じとは限りません。もちろん、同じ色を見ているわけですが、同じように情報処理されて、同じような色彩になっている保証はどこにもありません。


私は赤色やオレンジ色が好きなのですが、世の中には青色や緑色が好きな人もいます。私とは見え方が少し違うのでしょう。ちなみに私は緑色も好きなのですが、ファッションに緑色を取り入れることはほとんどありません。緑色は他の色と合わせにくいと感じているので。

でも、世の中には緑色のウェアもシューズもあり、それらを好んで選ぶ人もいます。その人にとって、緑色はコーディネートしづいという感覚は微塵もなく、自分の中で美しい組み合わせをイメージできているのだと思います。センスというのは、より多くの人が共感してくれる感覚を持っているか否か。

センスが悪いというのは、みんなが思う「美しい」が理解できないだけで、それはそれで個性なんだと思います。ただ、みんなと違うことがよくないとされる風潮があり、「黒歴史」とされることがあります。先日、アイドル番組の配信を視聴してて、そらに違和感を持ってしまいました。

その放送は櫻坂46の冠番組なのですが、そこで黒歴史を清算しよういう会で、過去に書いたポエムや絵などをみんなに公開して、笑いに変えて消化しようという趣旨。なかなか思い切ったことをするなと思って楽しんでいたのですが、過去のポエムを「痛い」としているのを見て、それは違うのではないかと。

本人も痛いと感じているのかもしれませんが、そこには創造の種があって、きちんと水を与えれば開花するように思えるのに、それを「黒歴史」と一括りにする。そうやって才能が消えていくのだと思うと、せつない気持ちになってしまいます。

ノートに書き留めたポエムと詩人の詩はどこが違うのか。素人のつくるものだから粗さは否めないとしても、そこに輝くものを見つけたり、才能が伸びる方向に導いたりするのが大人の役割であり、それを笑いに変えるというのは、ちょっと歪んでいるなと思うわけです。


バラエティ番組なので、そんな深く追求するようなことではないのかもしれませんが、その分岐点は人生に大きな影響を与えます。過去の自分が生み出したものを恥ずかしいと思ってしまう。そんな社会は健全ではありません。もっと誇りにしてもいいはずです。

アイドルというのは特殊な世界ですし、とにかく人気が出ないとどうしようもないのですが、そのために自分の過去を否定するのは違う気がします。確かに一時的に注目されるかもしれませんが、黒歴史と呼ばれるものを再生し個性を伸ばしたほうが、将来に繋がります。

もっとも私は彼女らの人生に責任を持つこともありませんし、ただの視聴者でしかないので「黙ってみていろ」という話なのかもしれません。だから私がすべきことは、自分の過去を黒歴史なんて言わずに、すべての過去を受け入れることだけなのですが。

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