
盛者必衰というのはこの世界のルールのようなもので、どんな組織であれ個人であれ、永遠の繁栄は与えられない。ただ、長く続かせる方法はある。それは繁栄しすぎないようにすること。爆発的な人気が衰退への第一歩であることは、疑いようのない事実。
私は音楽を聴きながら走るときに、心地よさという点で乃木坂46の楽曲を聴き始めました。当時はまだ乃木坂46はメジャーになりきれていないアイドルグループで、どちらかといえば燻っているようなところがありましたが、いつのまにか押しも押されぬトップアイドルに。
ただ、AKB48のように国民が熱狂することもなく、売れすぎていないことも影響して、世代交代してもその人気が下がることもなく、トップアイドルの座を守り続けています。とはいえ、そろそろ限界かなと感じることもありましたが、その度に立て直してきたところがあります。
ただ、それも長くは続かない。いまの乃木坂46にはそんな雰囲気があります。別にそれを望んでいるわけではありません。現実として、乃木坂46であっても世の常に対して抗うことはできないのだなと。それは人が衰えるのと同じ。
いくら細胞が新しくなったとしても、確実に衰えていく。組織も体もそれは同じ。誕生した瞬間に終わりに向かって進んでいく。その儚さが魅力のひとつなのかもしれませんが、老いを感じている身としては、切なさに包み込まれてしまいます。
今回の楽曲のタイトルは「最後に階段を駆け上がったのはいつだ?」。ステアクライマーの1人として反応せずにいられないタイトルと歌詞でした。ここでその歌詞について私の解釈を書くことはしませんが、このタイトルこそ乃木坂46の終わりを予感させます。

先は見えなくても階段を全力で駆け上がって、自分で未来を掴もうというニュアンスの歌詞。それは前提として「いま全力ではない」という現状を表しています。かつてはがむしゃらで上を目指していたのに、いつの間にか現状維持で満足していることへの危機感。
楽曲に込められたメッセージはそのままグループへのメッセージにもなっている。それを受けて現場がどう変わるか。そんなストーリーになるはずなのですが、現場はそれに気づかない。なぜなら、自分たちは全力でやりきっているつもりだから。
でも、それは与えられた役割を果たしているだけ。そこから突き抜けないといけないのに、足踏みを繰り返している。もし与えられた役割をこなすので精一杯なら、それは実力不足。突き抜ける必要性に気づかないなら、沈んでいくだけ。
この楽曲が生まれた時点で、危機感を持たなくてはいけない。でも、組織というのはそんな簡単には変わりません。いや、変われないのが組織なので、やはり衰退していくことは避けられません。いうまでもないことですが、衰退とは右肩下がりになることではありません。
上がったり下がったりしながら、いつのまにか消えていく。ときどき上がるから「まだいける」と思ってしまうけど、実際には行き止まりに向かっている。こういうときに、何をすればいいのか私にはわかりません。ただ、はっきりしているのは、気づかないフリをしていても何も変わらないということ。
人間は大変なことがあると、耐えてそれが過ぎていくのを待とうとします。それがベストな判断であるときもありますが、少なくとも上を見たいなら耐えるのではなく1段でも駆け上がるしかありません。それも立ち止まることなく、ただひたすらに。
