
叔父(父の兄)が亡くなり、4日ほど松山に行っていました。私の父が亡くなってから、何かと気にかけてくれていたのもあり、とてもブログを書けるような状態ではなかったので、RUNNING STREET 365とWALKING STREET 365の記事作成を除いてほぼストップしていました。
これで父方の叔父がみんな他界したのですが、今回亡くなった叔父を除いてみんな若いうちに亡くなっており、私が今のような働き方に変わったのも、それが多少なりとも影響しています。がむしゃらに働くことは命を削ることもあると20代のうちに悟り、命は永遠ではないことも身を持って知りました。
だから生きているうちにやりたいことをやる。これが私の基本スタンスになっています。今回亡くなった叔父は数え年で82歳というのは、男性の平均的な寿命に近く、叔父が生きているうちは、自分にとって少しだけ安心材料でもありました。
そんな叔父がいなくなるということ自体も、私にとって重たい出来事ではあるのですが、それに合わせて自分の残された時間も意識することになります。当然のことですが、早ければ今日にでも寿命が尽き、長くてもあと30年ちょっとしかありません。
もちろん叔父よりも長生きできる可能性はあります。でも、これだけ体を酷使していれば短くなる可能性のほうが高く、何よりも「残り30年」を強く意識する4日間になりました。そうなると、マイペースな私でも、まだ何者でもないことにさすがに焦ってしまいます。
ただ、まだ明確に何かをしたいと思えるほど頭がクリアにはなっていません。でも、間違いなく今回のことは自分を動かすきっかけになる気がします。「いずれ」と思っていたことは、もう始めなければいけないという危機感。そのために必要ないものを削ぎ落としていく必要があります。
それはずっと考えてきたことですし、少しずつやってきたことでもあります。ただ、もっとダイナミックに変えていく。残された時間が明確になったことで、あまり悠長なことは言ってられないことに気付かされました。ただ、今やるべきことは愛媛マラソンに向けての準備。
愛媛マラソンの報告をもう叔父にすることはできなくなりましたが、だからこそ本気で挑むべき理由がひとつ増えました。これまでは自分の満足のためだけに1年頑張るとしてきましたが、ここからは墓前でいい報告をするためにストイックな日々を送ることになります。
本当はそんなことに利用すべきではないのかもしれません。次の愛媛マラソンを集大成にするというのは、私にとっての個人的なことであり、誰かを巻き込むようなことではありません。でも、ここまで応援してくれた人のひとりであることには違いなく、ここ最近は不甲斐ない結果になっていたので。
まずはこの気持ちの落ち着かない感じをしっかりと受け入れて、ギュッと圧縮してから自分の心にしまっておく。園作業をすることから。しばらくは小さいミスを繰り返してしまうでしょうし、こういうときに事故なども起きがちなのであらゆることを丁寧に。
そしてこれからの自分に必要なものとそうでないものを取捨選択していく。きっとほとんどのものは必要なくなるはずです。そうやって身軽になりながら、自分がどこを目指すのかをはっきりさせていきます。もっとも選択肢はもう2〜3つくらいしかありませんが。
やりたいことに挑戦して、失敗したならそれもひとつの人生。でもやりたいことをやらずに後悔することだけは避けたい。やるだけやったと思って最期の日を迎えるために、いまからできることをひとつずつ。そして自分の最終ステージを始めるために削ぎ落としていきます。