
北京からの帰途、言葉にしたいことがたくさん溢れていたのに、1本の映画が私のすべてをまっさらにしてしまいました。機内アナウンスで再生を強制的に止められなかったら、エコノミーのこぢんまりとしたシートで号泣していたかもしれません。
いつもなら中国映画を観るのに、なぜがその時に限って邦画が気になり、そして選んだのは「片思い世界」。北京での時間が、私にとって大切な人との思い出を蘇らせ、このタイトルを選ばせたのかもしれません。小説と映画は出会うべきときに目の前にやってきます。
ここ数週間で、余計なものを勝手に背負っていたような気がします。いや、フリーランスになって10年。小さく積み重ね続けていたのでしょう。もう持ちきれないくらいの荷物を背負っていたのに、また大きな荷物を持とうとしていた私を戒めるように現れた映画。
この10年で本当に大切で、本質的なものを見失っていました。「全力で生きる」そんな当たり前のことが、いつの間にか見えなくなり、それに気づかないほど彷徨っていたのでしょう。10年が経過して、久しぶりに地に足が付いた感覚があります。
映画の内容についてはここでは述べません。気になる方はまだ上映中の映画館もしくはANAの国際線でご確認ください。ただ、私にとって「いま観るべき映画」であって、誰にでも響くわけではありません。運命は信じませんが、巡り合わせというものは間違いなくあると私は信じています。
今回の北京での新しい出会い。そこから発展する未来があるかどうかはわかりません。でも、山東省からやってきた2人が、私の記憶を引き出したことは間違いありません。自分にとって特別な人の存在。本当に特別だったのだと気づいたことで、心の殻に小さなひびが入りました。
すべての迷いが消えさった。そんな清々しさと無限の可能性が私を包み込む。まだ困惑しているところもありますし、他の人が私を見ても変化を感じないかもしれません。でも、そういうのも含めてふっきれました。これからはもう、すべて自分のためでいい。
再び始めた毎日ひとつ手放す生活が、10年前と同じように私に何かを与えてくれる。根拠はなくても、必ず私に新しい扉を用意してくれると信じていました。そして、いままさにその扉が現れました。あとは、力強く押し開けるだけでいい。
とても抽象的な言葉ばかり並べていますが、わかりやすい言葉で表現できない感情が私を支配しているため、どうしてもこのような表現になってしまいます。はっきりしているのは、今のこの感情を忘れてはいけないということ。この感情はこれからの私の核になるもの。
別に奇抜なことを行おうというわけではありません。ただ、少しだけ思い切りが良くなるかもしれません。それにより大きく舵をきる可能性もありますし、これまでと同じ道を進む可能性もあります。これまでと違いがあるなら、迷わないし言い訳もしないということ。
決して強い人間ではないし、影響を受けやすい人間だから、これからも流されることだってあるかもしれません。それでも全力で生きるという部分だけはブレさせない。もっと本能的に、自分を押し出して、流されるなら全力で流される。
無意識に見えないようにしてきた大切な人との過去をむき出しにする。そうすることでしか進めない道がある。そして、いまならその道に踏み出せる。いや、チャンスはきっと今だけ。ここで逃して平凡に生きるのではなく、苦しくても自分だけの未来を切り拓く。いまこの瞬間から。
