疑う:自分で経験したこと学んだことだけを信じる

老眼対策をしようと考えて、YouTubeで動画を検索しました。さまざまな老眼対策の動画がありましたが、まずは医師の考えを聞いておこうと思って再生したところ、いきなり「老眼は受け入れるしかない」という説明があり、出鼻を挫かれました。

ただ、無駄な対策をして時間を浪費しなくて済んだと考えれば結果的には良かったのかもしれません。近いうちに遠近両用眼鏡を作りにいくとします。やはり体のことは専門家の意見を聞くことは大切です。そして世の中にはたくさんの嘘が紛れているのだなと。

同じようなことはランニングでも起こっていて、効果のないものを影響力のあるランナーが声高に「必須です」と言っていたりします。たとえばランニング後のストレッチ。リラックス効果はありますが、疲労回復効果がないことは多くの研究でわかっています。


サウナも同じで、疲労感は抜けたとしても疲労そのものが抜けるわけではなく、でも「効果がある」と説明するインフルエンサーが後を断ちません。そういう場面で「効果ないから」というのは大人気ないので口にしませんが、そういう人なんだなと残念には思っています。

人間は自分の経験に基づいて行動を決めますし、何が正しいかを判断します。だから過去に積み重ねてきたことを簡単に変えることはありません。行き詰まって、どうしようもないくらいもがいて、ようやく過去のやり方が間違っていたことを受け入れます。

また、結果を出した人の言うことを鵜呑みにする人も少なくありません。いや、むしろそちらの方が多いかもしれません。オリンピックで金メダルを取った人がやってきたことはすべてが正しいという思い込み。その人が言ったということが、根拠になってしまうわけです。

物事の本質を見抜き、常識を疑うこと。少なくとも情報発信をしている人はこのスタンスが求められます。「なぜ?」をできるだけたくさん持つこと。惰性で受け入れないこと。そして自分で確認したこと以外は信じないこと。それくらいのスタンスがないといけません。

権威のある人が言っていたことを信じる。これは仕方のないことではあります。特に若い世代だと、知識の獲得の仕方がわからないので、誰かの言葉を参考にしたり、影響を受けたりするステップは必要なことでもあります。私も20代後半に作家の村上龍さんから多大なる影響を受けました。

でも、情報発信者はいつまでもそのままというわけにはいきません。自分で考えて、自分の視点で物事を見て、自分なりの言葉で伝える。得た情報が本当に正しいのか確認してから、飲み込む。そうでなければ、自分が発信する意味も失ってしまいます。


人間はどうしたって楽な方を選びます。情報は簡単に手に入れたいし、簡単に楽できるやり方を信じてしまう。でも、そのようなスタンスだから、老眼のように原理原則を考えれば対策なんてないことがわかるようなことでさえ、嘘の対策を信じてしまうわけです。

もちろん老眼に対策がないというのも、本当なのかはわかりません。今はそうかもしれませんが100年後にはなんらかの治療方法が見つかる可能性もゼロではありません。だから、私も100%でその専門家の言うことを信じているわけでもありません。

それでは何も信じられないじゃないかと思うかもしれませんが、私はそれでいいと思っています。自分で獲得した知識や経験以外、何も信じなくていい。いや、それすらも疑えるようになるのが私にとっての理想。常識など時代とともに変わっていくものですから。

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