
私が海外に行って困るのは、現地の言葉を話せないということ。中国語も英語も、旅行で困らないくらいは話せますが、会話によるコミュニケーションはできません。多少の勉強では乗り越えられない壁というものがあります。ただ、それはもう受け入れるしかないことと諦めています。
手持ちの時間が無限なら、本格的に勉強するという選択肢もありますが、もう10年以上もできていないわけです。会話はできなくても、いや会話ができないからこそ生まれるコミュニケーションがあり、話せないからこそ旅が面白くなったりもします。
ただ、話せるようになりたい欲はあります。テクノロジーの進化で、何とかならないものかと思ったりもしています。最近は同時通訳アプリも増えてきて、その可能性が広がりつつあります。そして年内にAppleののライブ翻訳機能が日本語にも対応するのだとか。
Appleに対して絶大なる信頼を置いているわけではありませんし、最初から完璧な翻訳ができるとも思っていません。ただ、Appleがライブ翻訳に対応するとなると、ライブ翻訳の大衆化が一気に進みます。ここがとても重要で、数年後にはライブ翻訳は「当たり前に使われる」機能になります。
そして使う人が増えれば増えるほど、その性能は向上します。私にとってそれは朗報以外の何者でもありません。ライブ翻訳のためだけに、AirPods Pro 3を購入しようかと思い始めているくらいです。少なくとも来春の万里の長城マラソンまでにライブ翻訳環境を整えます。
最初から完璧にならないのはわかっていますが、聞き取れる言葉が増えるだけでも世界の広がり方が大きく変わります。これこそAIの魅力であり、私たちに希望を与えてくれるテクノロジーの使い方です。私は新しいものが好きなので、早く試したくてウズウズしています。

もし、ライブ翻訳機能を使える環境が整ったら、それを試すためだけに台湾に行くとかしてしまいそうです。何だったらiPhoneを2台持ちして、AirPodsも2セット持って、相手にも使ってもらって会話するなんて試しても面白そうです。
もしかしたら5年後には世界から言葉の壁がなくなるかもしれません。もちろん、翻訳しやすい話し方など、ある程度のスキルを身につける必要もあります。それを研究して、情報発信するのも面白いかもしれません。間違いなく大きなトレンドになるので。
ただ、そうなるとさらに中国語や英語の勉強もしなくなるのでしょう。本当にそれでいいのか?という思いもあります。便利なものはどんどん使うべきですが、便利さが自分を衰えさせるというのは避けるべき。便利であることに満足せず、さらに一歩踏み込む必要があります。
たとえば北京で友達を作り、最新の北京についての情報を生の声(翻訳された声ですが)で聞くとか。会話できるというところで立ち止まるのではなく、そこから一歩進んで「活用して何かを得る」に持っていかなければ、自分が退化するような気がしています。
とはいえ、便利な世の中になっていて、できることの可能性はまだまだ広がっていきます。いったいどこまで世界は進化するのか、私が生きている間にどんな世の中になるのか、その部分は楽しみでしかありません。そして、その変化にきちんと適応したいなと。
現状維持で満足せずに、常に新しいものを試し、自分に合うものを取捨選択していく。そのスタンスは失わないようにしたいところです。まずは新しいものに興味を持つことから。もっとも、そんな意識はなくても、上京したての18歳の頃のように、いつだってワクワクしているのですが。
