雰囲気:あの人は本気で走れば速いという謎の噂

私はランニングに関する情報発信をしていますが、最初からその方向に進もうとしていたわけではありません。元々はどこにでもいる普通のランナーで、自分なりに情報を集めて、試行錯誤しながらサブ3を目指しており、情報を受け取る側にいました。

その転機となったのが裸足ランニングとの出会いなのですが、当時は裸足ランニングをしたければ裸足ランニングクラブに入るのが一般的でしたが、私は誰からも学ぶことなく、自己流で裸足ランニングを追求し始めました。そこで得た経験をこのブログなどで発信したのが、ランニングに関する情報発信の始まりです。

裸足ランニングクラブとは違う独自理論であり、それでいて日本国内では比較的早くに裸足でフルマラソンを完走したこともあって、そこそこ知名度が上がっていきました。それでも裸足ランナーとの交流をあまりしなかったこともあり、イメージだけが広まっていった過去があります。


たとえば、裸足マラソンに参加しても、走りながら動画撮影していたのもあってほぼ最後尾を走っていたのですが、それを見た人たちが噂するわけです。「あの人は本当はすごく速い」と。もちろんそんなわけはありません。私の走力なんて高く見積もっても中の上くらいのものです。

でも、裸足でフルマラソンを当たり前のように走り、24時間マラソンも裸足で走り切るなど、他の人がやらないことを平然とやってきたことと、文字による情報発信だったのもあって、私に対するイメージが現実とはかけ離れたものになっていったわけです。

これと同じことがステアクライミングでも起こりつつあります。先日の太郎坊チャレンジでスタート前のひと言インタビューで、いつも大会を盛り上げてくれているMCの方が、「ものすごい選手」みたいなニュアンスで私を紹介し、会場が少しざわつきました。

そのときの私の格好は裸足に河童。何かやりそうな雰囲気だけは備わっています。でも実際には平凡な記録しか出せないステアクライマー。ここでもイメージだけが先行しており、どうしたものかなとなっています。それに見合う実力がないので、情けなくもなります。

おかしなもので「すごい」と評価されたときに、否定すればするほど、その場にいる人の評価が上がっていきます。「速いうえに謙虚」。これはもう笑うしかありません。何ひとつ私を表していないので、何とかして見繕おうとしても、先行するイメージに追いつけません。

これはどこにいっても起こる現象で、たとえばアルバイト先でも、能力以上の評価をしてくれるのですが、そうなればなるほど本来の自分が薄れていきます。実力以上に評価されたときに、心から喜ぶことができず、むしろ卑屈になってしまう。そこがよくないなと。


できることなら、あいつはダメだくらいの評価で平均点を安定して出し続け、「やればできる子」くらいの評価でいたいものですが、なぜかそれが許されず、常に平均を遥かに超える結果が期待される。そこで期待を超える結果を出せるのが最もかっこいいのですが、その力はなく。

もどかしいなと思うわけです。表に出るタイプでもないので、本当は静かにやらたいことだけをしながら暮らしたい。でも、実際にはやりたいことをやると、何かやり出しそうだという雰囲気だけで実力以上の評価を受ける。そうしていつも襟を正さずにはいられなくなる。

きっとそれは生きている間ずっと続くのだと思います。私はそれを受け入れるしかない。そして居心地の悪さを解消するには、期待に応える結果を出すしかないのですが、それをすると噂がさらに膨らんでしまいます。気がつけば見事なくらいの八方塞がりが完成しているようです。

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